《僕は君に、以前ラブレターを書く約束をしましたね。なかなか、書く勇気がありませんでした。今年で、君と結婚して三五年目になりましたね。クリスマスに君に感謝の気持ちこめて、ラブレターを書きます》
妻に向け、こんな手紙を書いたのは西畑保さん(84才)。「読み書きを習って最愛の人に手紙を書きたい」――そんな思いから20年間通い続けた奈良市立春日中学校夜間学級を今年3月に卒業したばかり。
現在、日本には34の公立の夜間中学がある。そこで学ぶ理由は人それぞれ。戦後の混乱期に義務教育を修了できなかった人や、不登校だった人の学び直し、外国籍の人などが通っている。
昭和11年、和歌山県の山あいの村に生まれ、若くして働きに出た保さんもその1人だ。
「父は炭焼き職人でした。村の中心部から10kmも離れた山奥の小さな炭焼き小屋で、家族7人で暮らしていました。父も母も、夜明け前から夜遅くまで炭で真っ黒になりながら一生懸命働いていましたが、いつもひもじくて、母はぼくが7才のときに結核で亡くなりました」(保さん・以下同)
5人きょうだいの長男でもあった保少年は、家計を少しでも楽にするため、山で和紙の原料の雁皮の皮を採り、干して売っていた。コツコツ貯めたお金はいまの金額で2万円近くになっていた。
「袋に入れて肌身離さず持っていたんですが、あるとき教室で落としてしまった。袋は見つかりましたが、『自分のです』と名乗り出ても、先生は信じてくれない。『西畑がそんな大金を持っているはずがない』と言うんです」
保さんは「嘘をついた罰」として廊下に立たされた。
「級友にも泥棒と罵られ、ツバを吐きかけられもしました」
この日以来、保さんは学校から遠ざかる。父親の仕事を手伝い、12才になると本格的に働きに出た。
「パン屋に住み込みで働いていました。昼夜逆転のハードな日々でしたが、焼きたてのパンを食べるのが楽しみで。この頃は文字が読めなくても困ることはなかった」