ちょうど1年前、高校球界を揺るがす事件が、岩手で起きた。大船渡の3年生だった「令和の怪物」こと佐々木朗希(現・ロッテ)を巡って、県大会決勝でまさかの「登板回避」という判断が下された。将来を嘱望される右腕を守る“英断”か、甲子園を目指す球児の夢を絶つ“独善”か──1年の時を経て、國保陽平監督が「あの日」の真実を初めて明かした(取材・文/柳川悠二=ノンフィクションライター)。
「壊しちゃいけない」
令和の怪物こと佐々木朗希(18)がいた夏から365日、今も大船渡を指揮する國保陽平(33)は、まるで憑き物が落ちたように、活き活きと采配を振っていた。
岩手高野連の独自大会となった今夏初戦。笑顔で選手に声をかけ、身振り手振りを駆使して積極的に策を講じていく。
常に表情が硬直していて悲壮感が漂い、どこか選手との距離も感じられた1年前とは何もかもが違った。國保は言う。
「プレッシャーがあったんでしょうね。(佐々木を)壊しちゃいけないというプレッシャーが。あの若さで、あの高い身長(190cm)で、滑らかなフォームで、変化球もうまくて、牽制もうまいという才能は、世界の野球の歴史を変えるかもしれない。だからこそ、壊さずに次のステージへつなげなければならないと思っていました」
昨年の岩手大会では國保は東京から押し寄せたメディアに取り囲まれていた。地元出身の部員ばかりの公立校である大船渡は、その春に163キロを記録したエース・佐々木を軸に勝ち上がり、強豪私学・花巻東との決勝までたどり着いた。
だが、前日の準決勝で129球を投げていた佐々木は、「故障を防ぐため」という理由で起用されなかった。控え投手たちが打ち込まれ、2対12で大船渡は大敗。令和の怪物が甲子園の土を踏むことはなかった。