今年7月24日は、本来であれば東京五輪の開会式が行なわれるはずだった。新型コロナの世界的な感染拡大によって「1年延期」が決まり、多くの関係者が翻弄されているが、とりわけ影響が大きいのが、コロナ禍の前から東京五輪に向けて来日していた「南スーダン選手団」である。選手団を受け入れていた群馬・前橋市は7月22日、「1年後」の大会終了まで支援を継続する意向を明らかにした。選手団は同市での合宿生活を続けることになる。まさかの延期という混乱のなか、彼らは日本で、どのような時間を過ごしていたのか――。
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「わたしは……、アパートからがっこうまで、くるまでいきます」
前橋市にある日本語学校の教室では、朝から大柄な外国人5人が机を並べ、日本語を学んでいた。白いマスクを着用し、机からはみ出した長い脚は少々窮屈そうだ。
東京五輪・パラリンピック南スーダン選手団の5人は、2020年7月からの大会開催を前提に、“コロナ前”から日本に来ていた。彼らは、五輪「延期」の決定後もホストタウンの前橋市で合宿を続けている。
選手たちが来日したのは昨年11月。「国際協力機構」(JICA)の打診を受け、市が長期受け入れを決定。ふるさと納税で1900万円を集め、合宿費を捻出した。以来、文化や習慣の違い、言葉の壁にぶつかりながら、誘致した市役所職員や地元住民と交流を深め、はや半年以上が過ぎた。
コーチを務めるオミロク・ジョセフ・レンシオ・トビア氏(59)と、選手4人の来日当時の様子について、前橋市スポーツ課誘致係の清水一孝氏が語る。
「最初はなかなかコミュニケーションを取るのが難しく、『ポケトーク』(自動翻訳機)を介して英語でやり取りしました。ただ、教室に通うなどして、少しずつ日本語を覚えてくれています」
日本語教室の授業は毎週月曜日の週1回、午前8時半から10時15分まで。少し眠たそうな選手もいるなか、熱心に授業を聞いていた唯一の女子選手モリス・ルシア・ウィリアム・カルロ選手(19、100m)は、初めて習う日本語についてこう話す。
「日本語は難しいけど、少しずつわかる言葉も増えてきました。日本語で好きな言葉は『愛』です」