作家の甘糟りり子氏が、「ハラスメント社会」について考察するシリーズ。今回は、いまでも自責の念がこみ上げてくる自らのハラスメント体験を告白。
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数年前の年の瀬、某男性誌から対談の申し込みがあった。
対談の相手はその雑誌の編集長。あまり時間がないようで、近々編集部に来られないかという依頼だった。頼んできたのは昔一緒に仕事をしたこともある編集者A氏。私は、年末のあれこれや締め切りを調整して、指定された翌週のある日、ヘアメイク(正確にいえば、忙しいヘアメイクの方のアシスタント)の女性と一緒に向かった。タレントではないから、もちろんマネージャーなんかいない。新刊がらみだとたいてい担当の編集者が同席してくれるけれど、そういう内容でもない。
その雑誌は女性にモテることをなによりの優先事項としていて、そのためにどの時計を身につけ、どの服を着て、どのレンストランに行き、どんなセリフで落とせばいいか、といったことが誌面を埋めている。応接室は雑誌の方向性を示すように、凝ったインテリアだった。一角には電子ピアノまである。ほどなくして編集長が入ってきて、一言二言言葉を交わすと、なぜか部屋を出て行った。私のヘアメイクはここに来る前に済ませてある。すぐに対談が始まると思っていたのだけれど、編集長は戻ってこない。雑誌にとっては年末進行という大変な時期だから、何かと忙しいのだろうと思い、A氏と雑談していた。ヘアメイクの女性は離れた席に座っていた。
やがてA氏との雑談は対談のテーマに関するものになった。A氏は揚げ句にノートとペンを取り出し、念のため録音してもいいかといわれた。私は、ああ、やっと編集長が来て対談が始まるのだと思い、それを承諾した。しかし、それでも一向に戻る気配はない。私がA氏からインタビューを受ける形である。途中、聞いてみた。
「これ、インタビューなんですか? 今日は対談なんですよね?」
A氏は視線を逸らしながらいった。
「ええ、まあ…。たいていこんな感じでやってるんですよ。編集長、いろいろとあるもんですから。僕がきちんとまとめますから。ご迷惑はかけません」
それからも、私への「インタビュー」は続いた。あまりに驚いて、聞かれたことへの答えを探すにはそれなりの集中力を要した。どういうこと?という気持ちが渦巻いたのだ。
約一時間で「インタビュー」が終わろうとすると、カメラマンが入ってきて手慣れた様子で撮影の準備を始めた。それが整った頃、編集長が入ってきて、私の隣に座った。対談風のカットを撮るためだ。彼はにこやかに私の方を向いたり、腕を組んで笑ったり、なかなかの演技であった。れっきとした「やらせ」である。まったく対談をしていないのだから、演出の範疇ではない。しかし、私にはそれを指摘する勇気がなかった。
自分も笑顔で応じれば、このばかばかしいやらせに加担することだと思うと、つい表情も引きつってしまう。いつの間にか、カメラマンの横には何人もの男性編集部員が並んでいて、こちらを見ている。そんな中、カメラマンが信じられないことをいった。
「甘糟さん、もうやだぁ、ばかぁって感じで編集長の背中を軽く叩いてください」
はっ? 私はたいした知り合いでもない男性の背中に触れなくてはならないわけ? なんのために? 対談が楽しげに盛り上がっている画を撮るためなのだ。もっといえば、「こなれた遊び人の編集長がちょっとやんちゃな(これ、この類いの男性が好きな超ダサいフレーズ)ことをいって、女に仕方ないわねえとたしなめられている」というエピソードをでっちあげたいのだ。
カメラマンもA氏も、他の編集部員の男性もみな、なんの疑問も持たずに、その「たわいもない様子」を待ち構えていた。唯一の私側の人間であるヘアメイクの女性はずっと後ろの方にいて見えなかった。自虐的に年齢を理由にするのは反則だけれど、五十を過ぎてもまだそんな役割に押し込まれるのかと思うと情けなく、媚びているような様子を撮られることは胃が熱くなるほどくやしかった。