過去に例のないかたちで“夏の甲子園”が開幕する。8月10日からの「甲子園高校野球交流試合」は、各都道府県の地方大会を勝ち抜いたチームではなく、新型コロナの影響で中止になった春の選抜の出場校への“救済措置”という位置づけとなり、各校1試合のみが設定されている。出場校には8回の全国制覇を誇る大阪桐蔭も名を連ねるが、今年の3年生たちは同校として9回目の甲子園優勝を目指す機会を新型コロナによって奪われた。選手たちはどんな思いを抱えているのか。ノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。
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大阪桐蔭のグラウンドで“ゴンちゃん”を初めて見かけたのは、2018年の4月2日だ。なぜはっきり覚えているかといえば、甲子園で開催される選抜高等学校野球大会の準決勝を前にした休養日で、同校の練習には大勢の報道陣が押し寄せていた。
当時の主将である中川卓也(現・早稲田大)や根尾昂(現・中日)、藤原恭大(現・千葉ロッテ)らが取材に応じる一方で、この日が初めての練習だった新入生が、グラウンドの外周をまっさらな練習用ユニフォームを着て走っていた。
その中で、誰より目立っていたのが西野力矢だった。身長は180センチ。体重は98キロ。愛称が“ゴンちゃん”である理由は、その風貌がNHK教育テレビ『できるかな』に登場したゴン太くんを想起させるからであることは明白だった。
でっぷりとした巨体を揺らし、西野は必死に同級生についていこうとしていたが、1周する度にアゴの角度は上がり、最後までゼエゼエと息を切らしていた。春の頂点を目指して勝ち上がらんとする最強世代の調整練習を眺めながら、日本一厳しいメンバー争いが待つ大阪桐蔭で生き残っていけるのか、西野のことが心配になったものだ。
もちろん、それは杞憂に終わる。わずか3か月後、西野は最強世代に混じり、大阪桐蔭では夏前の恒例行事となっている東海大相模(神奈川)との定期戦に出場していた。体重が86キロと12キロも減っていて、当初はゴンちゃんと気付かないほどだった。西野は、当時をこう振り返る。