甲子園交流試合で5年ぶりに高校野球の聖地に戻ってきた古豪・県岐阜商。ただ、久しぶりに甲子園で見る同校の選手たちのユニフォームは、以前のデザインとは大きく変わっていた。2年前から同校を率いる鍛治舎巧監督の前任校・秀岳館(熊本)のデザインに似ているような……古参のファンからはそんな声も聞かれた。この“ユニフォーム改革”は、母校の野球部の再建を託された鍛治舎監督の考えがあってのことだった。ノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。
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明豊(大分)との甲子園交流試合をおよそ6時間後に控えた大会2日目(8月11日)の午前9時半、県立岐阜商業の鍛治舎巧監督から携帯電話にメールが入っていた。試合当日になんだろうかと文面を見るや、目を疑った。
「只今、吹奏楽部の華やかな演奏に送られ学校を出発しました。ようやくたどり着いた甲子園への道、選手たちの燃えたぎる思いが凝縮された1試合、思う存分戦わせます」
試合当日に岐阜を出発し、そのまま甲子園で試合を戦ったあと、再び岐阜までとんぼ返りするというのだ。岐阜から甲子園まで、おそらく片道3時間以上はかかるだろう。
いつもの夏とは大きく異なる1試合限りの甲子園とはいえ、日帰りというスケジュールを強行せざるを得なかったのは、7月に校内で発生した新型コロナウイルスのクラスターの影響に違いなかった。
「野球部は指導者も部員も全員が陰性でしたが、社会にご迷惑をおかけしてしまいました。それに、(2年生の)部員にはまだ次がある。(これ以上の感染を防ぐために)日帰りとしました」
2017年8月に4季連続で甲子園に導いた熊本・秀岳館の監督を退任し、翌2018年3月に母校の指揮官に就任した鍛治舎監督。春夏通算56回の甲子園出場(優勝4回)がありながら、夏は2012年、春は2015年を最後に出場から遠ざかっている母校の野球部の改革を断行してきた。