安倍晋三首相は7年前、成長戦略で「国民の平均年収を10年で150万円増やす」と掲げた。経済政策は祖父・岸信介のライバルだった池田勇人・元首相の「所得倍増計画」を真似したのだ。その池田は東京五輪、首都高、新幹線など、派手な公共事業のイメージが強いが、そこにはある信念があった。政治ジャーナリスト・武冨薫氏がリポートする。(文中一部敬称略)
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所得倍増の華々しい成功はよく知られているが、この計画の中で、池田が「国家百年の計」ともいえる政策を実行していたことはあまり指摘されていない。いわば「学校倍増計画」である。日本経済史が専門の岡崎哲二・東京大学大学院教授が指摘する。
「池田の所得倍増計画で特徴的なのは、人的資本です。重化学工業の育成に重点を置き、そのための人材づくりを計画的に行なったのです。具体的には、高校増設にあたって工業高校に重点を置き、大学に対する補助金も、工学系に多く配分した」
1960年当時の高校進学率は約60%、4年生大学への進学率は8.2%だったが、戦後のベビーブーマー、つまり団塊世代の高校進学が近づき、進学熱が高まっていた。
所得倍増計画では、〈17万人の科学技術者の不足〉〈工業高校程度の技術者の不足は44万人〉と見込んでおり、池田はまず技能者養成のために工業高校を積極的に増やしていく。
1960年からの10年間で工業高校の数は225校から419校に倍増、また、学校教育法を改正(1961年)して高等工業専門学校(工専)を全国に開設していった。