今でこそ女性ピン芸人は珍しくない存在となったが、芸歴40年の山田邦子がデビューした当時は、漫談をする女性が人気者になるのは想像もつかないことだった。それを成し遂げた山田邦子が2020年2月からYouTubeチャンネル『山田邦子 クニチャンネル』を開設、話芸の女王ぶりを発揮している。イラストレーターでコラムニストのヨシムラヒロム氏が、YouTuber山田邦子による思い出語りの面白さについて考えた。
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「YouTubeは儲かる」なんて言われるようになって以降、続々と芸能人がYouTuberデビューを果たしている。知名度のある芸能人は、一般人のようにイチから登録者数を集めていくといった下積みがいらない。また、一昔前のように芸能人がYouTuberデビューすることに世間的なマイナスイメージもない。今後、YouTuberをやらない芸能人はテレビに出ることに特別なこだわりを持った人だけになるはずだ。
テレビとYouTubeは似て非なる媒体だ。視聴者の目線を集める方法も異なる。よって、芸能人もYouTubeに合わせた動画を制作する。小さい画面で観られることを配慮してか、テレビよりも大きなリアクションをとり細かく動画を切り貼りしてインパクトを増す。言葉を吐くたびに映されている人物が隠れそうなほどデカデカとした太ゴシック体のテロップが付く。そんなYouTuberにモードを寄せた動画を公開する芸能人が多いなか、ほぼ編集なしの動画を更新し続ける猛者もいる。その人こそ元祖女芸人・山田邦子である。
2月11日に公開された「太田プロを辞めた理由を話します。」という動画では、関係性が悪くなったと噂されていた元の所属事務所である太田プロと決別した本当の理由を語っていた。山田曰く「事務所の考え方が古くなった。私は新しいことをやりたいと思った」とのこと。文字通り、山田はYouTubeという新興メディアで芸談を繰り広げている。
動画1本の時間は大体15分ほど、山田はカメラに向かってぶっ通しで喋り続ける。流石、「唯一バラエティ業界で天下をとった」と言われる女芸人。立板に水のごとく、喋りに淀みがない。
そんな一人舞台で多く語られるのは、テレビが最も華やかで、山田が最も活躍していた1980年代のエピソードである。テレビ業界は元々派手な世界、その全盛期ともなればコチラの想像できないことも起きる。「ご褒美でニューヨークに連れて行ってもらった」こんなことはざらである。世知辛い時代を生きてきた世代の僕からすると羨ましくて仕方がない話のオンパレードだ。
山田の語る内容を意地悪に捉えれば、思い出語りでしかない。しかし、終始カメラ目線で話す山田と対峙すれば、そんな野暮なことは言えなくなる。視聴者に語りかけてくる口調を崩さないので、一対一で山田から話を聞いている気分になる。また、その語り口は軽い世間話のように始まる落語の導入部となる「まくら」に似ている。聞き手の心を掴み、話し手を内輪へと引き込んでしまう。流石、元々落語家志望の山田である。「芸能界」と話される内容は派手だが、語りは親しみやすい。このギャップこそ山田の動画の優れている点だと思う。
また、全ての動画のテンションが一定している点も見逃せない。心地よいリズムで話され続けるため、視聴者が疲れない。結果、「次も」と立て続けに動画を観てしまう。テンションの上げ下げや身振り手振り、大きなリアクションで話をすることも「話芸」だが、淡々とした口調でずっと聞いていられる山田の語りもこれまた「話芸」である。
山田が紐解く芸能史は、当事者だけが知り得るエピソードが豊富だ。元来、記憶力が優れている人なのだろう。どういったシュチュエーションで誰がこんなことを話していた、なんてことが詳細に語られる。そして、どの話も客観性がある。「あの時代は私の青春!」なんて熱量がないとは言わないが、それを押しつけないから自慢話にも聞こえない。山田のクレバーな視点は、主に語られる1980年代の芸能界に山田のような女芸人が少なかったことから由来することだと思う。男性社会にいた数少ない女性だから見えてくるものがある。男芸人が当時のことを話した場合、どうしても「仲間!」といった想いが前面に出てきてしまう。山田には、その暑苦しさがない。