女性司会者の先駆けとして『ザ・ヒットパレード』(フジテレビ系)を皮切りに、『夜のヒットスタジオ』(同)、『ラブラブショー』(同)、『料理天国』(TBS系)など多数のヒット番組を手がけてこられた芳村真理さん。御年なんと85才にして変わらぬ美貌と抜群のスタイル。そんな芳村真理さんに、放送作家の山田美保子さんがインタビュー。芳村さんが、『夜ヒット』時代の秘話を明かします。
山田:印象的だったのは、歌手の皆さんを「さんづけ」で呼ぶ『ザ・ベストテン』(TBS系 )の黒柳徹子サン(87才)に対して、真理サンは「ちゃんづけ」やニックネームで呼んでいらっしゃいました。
芳村:そうね。特にこだわりがあったワケではないんだけれど、あの頃の歌手のかたたちって、ものすごく忙しかったでしょ? なんとかリラックスしてもらおうと思っていたのは事実です。だって、ピンク・レディーなんて、大げさじゃなくて寝る間もないくらいだったんだから。それに、彼らは『ヒットスタジオ』で歌うまでに何千人の中から選ばれて、レッスンを積んで、何百曲の中から、たまたまヒット曲に巡り合えて出ているワケ。ものすごいことよね? そういうことがわかってしまうと、応援してあげなくちゃって。だって失敗したら田舎に帰らなきゃならないんだもの。そうこう言う私は、しょっちゅう曲名や外タレの名前を間違えていたけどね(笑い)。それも生放送のいいところ、ということで。
山田:私、高1の1年間だけアイドルの追っかけをしていたので、『夜ヒット』がある月曜日、歌手の皆さんが特に忙しかったのを知っています。朝からドラマや雑誌の撮影をして、夕方、NHKホールで『レッツゴーヤング』(NHK)の収録をして、お隣の渋谷公会堂(現・LINE CUBE SHIBUYA)に駆け込んで『NTV紅白歌のベストテン』(日本テレビ系)に出て、そこから『夜ヒット』に行ってたんですよ。追っかける方も大変でしたけれど(苦笑)、出るかたたちは本当に大変だったかと。
芳村:まぁ、そうだったのね。本番中、私と何を話したか覚えていないっていう話を何人かに聞いて信じられなかったんだけれど、そんなに忙しかったら覚えているワケないわね。
でも、さすがに月曜日のお仕事は『ヒットスタジオ』で終わりだと思ったから、あるときスタッフに頼んで、「たまには、この子たちをディスコにでも連れて行ってあげましょうよ」と私が提案したんです。ちょうど『マハラジャ』が流行っていたときで、みんな、飛び上がって喜んでね~。だって、行ったことないんだもん、ディスコなんて。週刊誌の記者さんの目もあるから、行けないわよね。で、マネジャーはみんな下で待っててもらって、歌手だけが中に入ったの。当時、六本木の『マハラジャ』って、階段の途中に大きな鏡があったんだけど、トシちゃん(田原俊彦サン・59才)なんて、その前で、こんなポーズをとっちゃったりしてね。