派手を好まず、実直で温厚、そして義理堅い。「男の憧れ」としての生き様を貫いた渡哲也さん(享年78)は、生前、石原軍団を始めとする「男たちとの交友」ばかりがクローズアップされ、女性遍歴がほとんど報じられない希有な俳優だった。
だが、その実、多くの女優に愛された人生を送っていた。若かりし日の知られざる有名女優との交歓は、数十年の時を経て続いていた──。
渡さんの訃報に触れた著名人の中で、真っ先に直筆のコメントを発表したのは、吉永小百合(75)だった。
〈夏の海が大好きだった渡さんは、泳いで泳いで恒彦さん(実弟の故・渡瀬恒彦さん。享年72)のところに行ってしまったのでしょうか。大きな病気を何度も乗り越えてこられたのに残念です〉
彼女の短いコメントに「深い感慨を覚える」と話すのが、芸能評論家の石川敏男氏だ。
「長い芸能生活を通じて、熱愛スキャンダルと無縁で過ごした渡さんですが、ただひとり、映画関係者の間で“公然の秘密”と言われたのが、吉永さんとの関係でした」
青山学院大学を卒業後、演技の経験がないまま1964年に日活に入社した渡は、まだ無名だった1966年、映画『愛と死の記録』で吉永の相手役に抜擢される。当時、吉永と数多くの作品で共演し、「青春・純愛路線」を築いていた浜田光夫(76)が怪我で降板したために転がり込んできた大役だった。