渡哲也さん(享年78)は、焚き火が好きな人だった。過去のインタビューでは《この煙はどこへ行くのかな、空へ行って宇宙へ行って、宇宙の上には何があるのかななんて、答えの出ないようなことをボーッと考えてますけどね》と語っていた。宇宙を目指す、一筋の煙。渡さんは、その煙のように静かに、音も立てずに旅立った。在りし日には自宅の焚き火場を共に囲んでいたという舘ひろし(70才)や神田正輝(69才)、渡さんを慕った石原軍団の弟分たちは、その静かさにやりきれない思いを抱えている。
静かに送ってほしい──。それが、渡さんの遺言だった。舘は密葬に参列できなかったし、弔問もできていないのは、その遺志に従っているからである。
「舘さんは『西部警察』で共演した渡さんを慕って石原プロに入ったんです。もうね、“尊敬”というより、“心酔”という言葉がお似合いでした。
渡さんが2017年に『松竹梅』のCMに復帰したときは、自分の出演はないのにスタジオにまで顔を出していました。周囲が舘さんに気を使うから、渡さんは帰れと言ったけど、最後まで帰らなかったですね。
2人が関係者とお寿司を食べていたときに、渡さんのイクラの軍艦巻きが倒れたんですよ。そしたら、離れたところにいた舘さんが飛んできて、スッと直してまたすぐに席に戻った。渡さんの一挙手一投足を見逃さない人なんですよ」(芸能関係者)
渡さんのことを時には兄として、親として、そして師匠として仰いだ舘にとって、渡さんは“家族同然”の存在だった。だからこそ、やりきれない思いがあるのだろう。
「密葬が完全なる家族葬であったなら、まだ諦めもついたかもしれませんが、そこには“家族同然”の渡さんのマネジャー、そして石原プロの清算を主導した人物の2人も参列していました。それなら自分も…という思いはあったでしょう。せめて遺骨の前で手を合わせたいと懇願しても、事務所幹部は首を縦に振りませんでした」(石原プロ関係者)
そこまでして舘をも遠ざけるのが渡さんのゆるぎない遺志であり、その遺志に忠実に従っていたのは石原プロではなく、妻の俊子さん(78才)だと、関係者は口を揃える。
「なぜ、そう言い切れるのか。石原プロが密葬を主導したのであれば、裕次郎さん夫人のまき子さん(87才)が存在感を出すはずだからです。しかし彼女は密葬に参列しなかっただけでなく、追悼コメントすら出していない。事務所は健康上の理由と説明していますが、コメントぐらいは出せるでしょう…。ここに俊子さんとまき子さんとの遺恨を指摘する関係者は少なくない」(前出・芸能関係者)
よい感情を持っていない
健康上の理由で石原プロの社長の座を降りていた渡さんだったが、2017年、相談取締役に復帰している。