「次の総理」レースは、菅義偉・官房長官が優勢な状況となった。菅氏は無派閥で大きな党内支持基盤を持ってはいないものの、自民党内だけでなく公明党や創価学会、財界や官界にも幅広い人脈を持つことで知られる。彼を「気配りの人」と評する声もある。
歴史を振り返れば、「気配り・目配り・カネ配り」で総理になったと言われる竹下登・元首相もいたように、自民党内では「気配りの人」と呼ばれた大物政治家は少なくない。7月に退職するまで自民党の党職員として、中曽根康弘氏や橋本龍太郎氏などから安倍氏まで歴代16人の首相のもとで勤務してきた田村重信氏は、政治家の「気配り力」に注目している。その田村氏が語る。
「もちろん、気配りだけで出世できるほど政界は甘くはない。しかし、常に気を配ったり、周りの人を笑顔にするといったことができない人間は出世しません。例えば、外務大臣を4年間、農林大臣や官房長官も務めた安倍総理の父・晋太郎さんは、外遊先で口に合わない弁当を出されても『美味い、美味い』と笑顔で食べていたものです。弁当を手配してくれた人に対する気配りです。『なんだ、この冷めた弁当は!』などと怒鳴るような人は、政界を去ることになります」
田村氏は、農林水産や安全保障に関する政策立案に関わり、橋本龍太郎が政調会長時には政策大綱作成にも携わってきた。その経験をまとめたのが著書『気配りが9割 永田町で45年みてきた「うまくいっている人の習慣」』(飛鳥新社刊)だ。そんな田村氏だが、1982年の参院選の際、晋太郎氏の遊説に随行したエピソードを明かしてくれた。
ある日、丹波の山中から次の遊説先である神戸にヘリコプターで行く予定だったが、朝から出ていた霧で、パイロットも警察官もヘリを飛ばして良いものかと悩んだ。しかし、田村氏が「なんとかヘリを出してください」と頼み込み、離陸させた。
「パイロットは緊張していましたし、私は無事に神戸に到着するよう祈っていましたが、その間、晋太郎さんはずっと目を閉じて腕を組んでいました。飛行の決断をした私や命がけで操縦しているパイロットに気を配り、動揺した素振りを見せずどっしりと構えていたのだと思います。もちろん、本当に肝が座っていましたからできたことですが」(田村氏。以下同)