婚約発表の記者会見をする渡さん(左)と妻の俊子さん(写真/共同通信社)
2011年に社長を辞任し、2015年には急性心筋梗塞で緊急手術を受けると、車いすを使いながらの生活を余儀なくされた。そんな状態ながら、2017年には相談取締役として再び石原プロの経営に参加する。
「車いすに加えて、酸素吸入器も手放せない状態だったようです。俊子さんはそんな夫と生活する中で、“残された時間を家族のために使ってほしい”という思いを抱くようになっていました。それでも渡さんは最期まで、来年1月に解散することが決定している石原プロの“清算”に尽力した。せめて、亡くなってからの時間だけでも“誰にも邪魔されたくない”と思ったのではないでしょうか。
あのふたりは、渡さんが“おい”と呼べば俊子さんが“はい”と駆けつける、亭主関白を絵に描いたような夫婦でした。断固、夫の遺志を尊重して貫いたというのも俊子さんらしい」(前出・俊子さんの知人)
批判の声もあるが、ふたりの人生を象徴するかのような俊子さんの振る舞いだったのだ。
2017年3月に亡くなった渡さんの弟・渡瀬恒彦さん(享年72)の妻も夫を静かに見送った。派手なことを嫌った故人の遺志により、近親者のみによる家族葬が営まれた。
「渡瀬さんは2015年8月に胆のうがんが見つかり、入退院を繰り返しながらも仕事を続けていました。亡くなる前は激痛を伴う肺気腫を発症していましたが、それでも亡くなった翌月に控えていたドラマ『警視庁捜査一課9係』(テレビ朝日系)のせりふを全部覚えていて、亡くなる前日にも病室を訪れたスタッフと撮影の話をしていたようです」(テレビ局関係者)
最期まで仕事に情熱を燃やす一方で、葬儀についても生前から妻・い保さんと話し合っていたという。
「戒名はいらない。棺のまわりは渡瀬さんが好きだったラン科の黄色い花、オンシジュームで取り囲み、遺影もい保さんの誕生日に撮影したものを使うと決めていたようです」(渡瀬さんの知人)
棺の中には、い保さんの手で家族の手紙や家族写真が納められたという。
※女性セブン2020年9月17日号