巨人のユニフォームのまま、現役生活を終えるドラフト1位選手はどのくらい存在するのか──。9月7日、巨人・澤村拓一投手とロッテ・香月一也内野手の交換トレードが発表された。澤村は今季こそ不振で三軍落ちも経験したとはいえ、2016年のセーブ王であり、昨季も主に中継ぎとして43試合に登板し、防御率2.61を記録。2010年のドラフト1位選手のシーズン途中のトレードには驚きの声が上がった。
1965年のドラフト制開始以降、巨人は江川卓の『空白の1日』で大騒動を巻き起こしてボイコットした1978年を除き、54回のドラフト会議に参加してきた(1966年は1次、2次と2回あり)。1位という呼び名のなかった自由枠獲得で入団した2002年の木佐貫洋、久保裕也、2004年の野間口貴彦、三木均、高校生と大学・社会人ドラフトに分離されていた2005年から2007年までの希望枠で入団した福田聡志、金刃憲人を含めれば、巨人には60人のドラフト1位がいる。このうち、1973年の小林秀一を除き、59人が入団している。
実は、2010年の澤村拓一までの50人のうち、“巨人一筋”の選手は22人しかいない(現役の坂本勇人含む)。意外にも、過半数を超える56%の28人は他チームに移籍した後に、プロ野球生活に幕を閉じている(※2011年ドラ1の松本竜也は2015年に解雇。2012年以降のドラ1は全て現役選手。今回トレードになった澤村までを対象として計算した)。
2000年代以降に監督を務めた堀内恒夫、原辰徳、高橋由伸はいずれもドラフト1位で、現役時代を巨人で全うした。そのため、“巨人のドラ1”には特別なイメージがあるかもしれないが、実際には今回の澤村のようにトレードされることも往々にしてある。
年代順に追うと、1965~1973年のV9時代のドラフト1位で、移籍することなく現役生活を終えた選手は堀内恒夫、高田繁、湯口敏彦(3年目の春に急逝)、中井康之の4人だけ。当時はレギュラーが固定されていた上に、他球団から実績のあるベテランが毎年加入しており、若手の芽が出づらい環境でもあった。1969年の1位である小坂敏彦は3年しか巨人に在籍していない。この時期のドラフト1位が期待されていたような成長を遂げられなかったこともあってか、1974年オフに就任した長嶋茂雄監督は6年で2度のリーグ優勝に留まった。