祭壇に向かって左に見えるのが、珠緒の思いが詰まった花で作られた東京タワー
夫の死をどう見送ればいいのか。これは遺された者とっては大きな問題である。いかにして夫の遺志を尊重するか、そこに悩む妻も少なくないだろう。有名人の残された妻たちの「夫の死後の振る舞い」には、そのヒントが隠されているかもしれない──。
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遺影の周囲は白いカーネーションで埋めつくされ、高価な胡蝶蘭がふんだんにあしらわれている。祭壇の左手には花で作られた高さ4.5mのミニチュアの東京タワーがそびえ立っていた…。
生前のイメージそのままに、ド派手な葬儀で送り出された勝新太郎さん(享年65)。取り仕切ったのは、妻の中村玉緒(81才)だった。
「勝さんは都内の自宅マンションから東京タワーを眺めるのが好きだったようで、玉緒さんがぜひとも祭壇に東京タワーを入れたいと生花業者にお願いしたようです。
勝さんは生前、自分の映画がマスコミに取り上げられるのを喜んでいたので、棺の上には、勝さんの訃報を一面で伝えるすべてのスポーツ紙が置かれていました。これも、玉緒さんが自ら準備していたようです」(当時を知る関係者)
通夜約5000人、告別式には約1万1000人もの関係者やファンが足を運んだ勝さんの葬儀は、昭和の大スターにふさわしい豪華なものだった。
1960年、映画『不知火檢校』での共演がきっかけで恋に落ち、玉緒の両親の猛反対を押し切って1962年に結婚。勝さんの激しい女遊び、アヘンと吸引器具を処分するよう自身が設立した「勝プロダクション」所属の俳優に頼んだ疑いで書類送検(1978年)、勝プロの倒産(1981年)、そして1990年1月には、ハワイ・ホノルル空港でコカインと大麻の不法所持で逮捕される「大麻パンツ事件」…。
そのたびに玉緒は悲嘆にくれながらも、妻として夫の不始末を詫び、支え続けてきた。
「玉緒さんはどんなときでも気丈に振る舞っていました。勝さんが亡くなり、大楠道代さん(74才)や藤村志保さん(81才)と一緒に遺体を死装束に着替えさせているときも、玉緒さんは局部を指さして“ここだけは、触ったらあかんえ”と言って2人を笑わせたそうです」(玉緒の知人)