混沌とする今の時代。新型コロナウイルスや異常気象、政治、経済……さまざまな不安や悩みを抱えながら、生きていかなければならない。どんな心持ちでこの先の人生を、前向きに歩いていけばいいのか。女優・室井滋さんが“ぶっちゃけ寺メイト”の宝林寺住職・千葉公慈さんに訊いた。話は、室井さんの友人のエピソードから始まり、“無駄な時間”の大切さに及んだ。
室井:昔、ちょっと変わった友達がいて、彼女は文字を書くのも食べるのも右利きだったんですが、あるときから左手でペンやスプーンを持つようになったんです。どうしたのと尋ねたら、右手ばかり使っているのはおかしいなと思ったからって。
千葉:世阿弥の言うところの「離見の見」で、これは仏教に由来する言葉なのですが、客観的に離れて見ることで己が何なのか真理に近づくという極意に通じますね。
お友達の例でいうと、右手ばかりでは意のままですが自己を省みることはないでしょう。ところが利き手ではない左手で食事をして不器用に食べ物をこぼせば、途端に「手って何なのだろう」と意識するはず。
思い通りの生き方をしているときには人生は何かと見ようともしないし、見えないもの。思い通りにならないときにようやく客観視することができると、お釈迦様も説いています。
ですから、コロナ禍で世の中から隔離されて、周囲と自分の意識が違うかもしれないと疎外感や孤独感を味わうことは、人間が生きる意味を考える絶好の機会とも捉えられます。
室井:当時の私は友達が左手を使う意味がわからなくて、他にも好物ではなく自分の嫌いな物を選んで食べるとか、嫌いな人にどんどん話しかけるとか、そういう行動を見ても変わっているとしか思わなかったんです。
だけど彼女とけんかをしたときに「室井はすごくはっきりした自分の個性があるから、そういうことが必要だと思わないんじゃないの」と言われてしまって。自分を探している人は不便なことをしたり、苦手な人とつきあったりしてみたいものなんだと言われて、ハッとしました。
その頃、ちょうど仕事で忙しくなりかけていて、効率のよさを求めて無駄なことをだんだんしなくなっていたんです。本当に無駄かどうかは別として、自分が無駄だと思う時間をうっとうしく感じるようになってしまった。
でもね、振り返るとその時間を排除したことで、私は自分をちょっと“殺した”んだなって。自分にとって悪いことをしてしまったんだなと、いまになってわかるんです。