新型コロナウイルス感染拡大のなかで、“3密の元凶”としてバッシングを受けたのがライブハウス。“日本のロック”誕生の立役者である、老舗ライブハウス「ロフト」も窮地に追いやられた。
今年3月、「LOFT HEAVEN」(東京・渋谷)でコロナ感染者発生の報を聞いた「ロフト」創業者・平野悠さん(76才)は「まさか、うちで……!?」と呆然としたという。緊急事態宣言は発令前だったものの、入場観客数を半分にし、消毒などの予防措置を取った上でライブを開催していた。しかし、出演者はじめ、観客、スタッフが新型コロナウイルスに感染していたのだ。
全国で12店舗を展開するなど、ライブハウスシーンの中心にあるロフト。来年開業50周年を迎えるタイミングでのコロナ禍である。
「来年の50周年に向かって絶好調だったのに、今回のコロナで木っ端みじんですよ。僕の頭もぶっ飛んだよね」(平野さん)
現在、ロフトは観客数を減らして感染対策をしながら、営業中。オンライン配信を中心に存続の道を模索中だ。
「客席とステージの丁々発止、“何かが起こる”予感が快感であって、その空間にいた人だけが共有できる特別な瞬間がある。それがライブハウスの醍醐味であり、音楽の力なんです」
平野さんがそう語るように、ロフトの長い歴史の中には、多くの”事件”も起きている。そこで、ロフトの歴史とカオスな事件簿をまとめた。
◆1971年 ジャズ喫茶・烏山ロフト開店
レコード枚数の少なさに呆れた客が自分のレコードを持ち寄るうちに、あらゆるジャンルの音楽が流れる空間となった。常連に、東京藝術大学の大学院生だった坂本龍一がおり(近所に住んでいた)、水割り1杯と引き換えに、女子大生のレポートを代筆していたという逸話が残る。
◆1973年 西荻窪ロフト開店
生ライブのできる店を目指し、西荻窪ロフト開店。楽屋もなくトイレも観客と共用だったが、当時演奏する場のなかった多くのミュージシャンは喜んで出演した。オープニングの10日間ライブには山下洋輔トリオ、頭脳警察、鈴木慶一、桑名正博、南佳孝、なぎら健壱など錚々たる顔ぶれが登場。山下洋輔の演奏中、隣の魚屋の主人が出刃包丁をもって「うるさい!」と殴り込んできたことも。
◆1974年 荻窪ロフト開店
第1次ライブハウスブームの幕開け。大手レコード会社に与せず、自分の好きな音楽を発信するティン・パン・アレー(細野晴臣、松任谷正隆、林立夫らを中心とした音楽ユニット)と、大滝詠一、シュガー・ベイブ時代の山下達郎や大貫妙子、荒井由実などが出演していた。
荻窪ロフト恒例のセッションでは、狭くてステージに上がれない荒井由実、吉田美奈子、大貫妙子、矢野顕子の即席コーラスグループがカウンターの中で歌ったこともあった。
シュガー・ベイブの解散式もここで行われた。そのほかフォークの重鎮・高田渡や友部正人、森田童子、大阪から月1で桑名正博、南佳孝、ムーンライダーズ、シーナ&ロケッツなども出演していた。
◆1975年 下北沢ロフト開店
店員バンドだったサザンオールスターズが閉店後に練習し、月1回ライブを行った。タモリも、伝説のシークレットライブ後、何度か出演している。また、ブレーク前のRCサクセションやカシオペアもいた。そのほか、金子マリ、Char、上田正樹、憂歌団、中島みゆき、大橋純子などが出演。