「世間話が苦手」「嫌なコミュニケーションからは全部逃げている」と語るIT批評家の尾原和啓氏。それでもNTTドコモで「iモード」、Googleで「Android」の立ち上げに参画するなど数多くの企業で実績を残してきた。コミュ障でも仕事を上手く回せる秘訣はあるのか──ニッポン放送のアナウンサーで「元・コミュ障」の吉田尚記氏がその真髄に迫った。
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吉田:いきなりですが、尾原さんはコミュ障であることを自認されていると?
尾原:そうなんです、僕、コミュ障なんですよ。正確には、自分が価値を見出す場所でしかコミュニケーションをしないっていう特化型です。自分にとって嫌なコミュニケーションからは全部逃げているんですよ。リモート飲み会も何回か参加したんですけど、無理だった。
吉田:避けているコミュニケーションってどんなものですか?
尾原:世間話が無理なんです。過去と現在を確保するためのコミュニケーションに興味が持てないんですよ。要はマウンティングのための会話ですよね。あなたの昔の自慢話なんか興味ないよって話で(笑)。
昔は「巨人・大鵬・卵焼き」の3つの話題を出せば誰とでも会話できたといわれていましたけど、パーソナライズ化されたネット空間で生きる現代人は、隣の人と自分が見ている世界がまったく違うってことがあるじゃないですか。一人一人に違うコミュニティが存在し、しかもそのコミュニティ内なら、好きな話を好きな相手といくらでもしゃべれる。わざわざ好きでもない話題を追いかけて、ほかのコミュニティの人間と会話する必要があるのか?って思っている人もたくさんいると思うんです。
吉田:いわゆる、「世間」というものがもう存在しないんですよね。僕、VR(ヴァーチャルリアリティ)に凄く興味があって、深く関わっているんです。そこで体験した盛り上がりを、ある大手テック企業の人にお話したら、「え、VRってもう下火なんじゃないの?」と言われてしまって。こんな近くで大きな「分断」があるんだと驚きました。
だからこそ、どんなに分断された、パーソナライズ化された社会でも「視界がまったく違う人ともコミュニケーションをしていこうぜ」ってつもりで活動しています。
尾原:「越境」って言われる行動ですよね。自分の世界の中に閉じこもっている限り、その世界の外側にあるものを認識できないので、境界線を越えて外に向かおうよって話で。遠くにあるものとつながることで、新しい選択肢があるってことに気づける。今まで日本という国は、比較的「越境」をしなくてもいい環境だったんですよね。ただ社会がここまでパーソナライズされてしまって、隣の人とも見えている世界が違うというようになると、あちこちで強制的に「越境」が起こっちゃうわけですよね。「越境」がそうやって社会の大前提になる一方で、それぞれのパーソナライズされた世界の中に閉じこもるという選択肢もあるわけじゃないですか。
吉田:閉じこもるって選択肢を選ぶ人がたくさんいるのは間違いないと思います。でもそういう人たちって、パーソナルな空間に安住する一方で、潜在的な恐怖を抱えていると思うんですよね。選択肢がない中で閉じこもるのって、ものすごい恐怖だと思うんです。だから実際に使うかどうかは別として、武器を持っていれば、恐怖に駆られずに生きていけるような気がするんです。そういう意味もあって新著(『元コミュ障アナウンサーが考案した 会話がしんどい人のための話し方・聞き方の教科書』アスコム刊)ではコミュニケーションの技術を「武器」って表現したんですよね。
尾原:拝読しましたがすごく有用な武器を提供しているなと。この新型コロナによって、旅行をはじめとした物理的な移動が難しくなったときに、必然的に自分の好きの偏愛空間の中に引きこもれる方向に技術が進んでいていくのは避けられないことと思います。だけどひとつの世界に支配されることは、当然自分が狭くなってしまう可能性も抱えるわけで。それを防ぐために「越境」できる能力を持つということは、確かに大きな「武器」になりますよね。