岸部四郎さんを知る人は彼の人生を“宝くじ”みたいだと語る。野心がないのに、超人気バンド「ザ・タイガース」へ加入、人気ドラマ『西遊記』(日本テレビ系)での沙悟浄も役、司会業も、なぜか大当たりを引き当てる。本人も宝くじを買うのが大好きな人だった。71年間のらりくらりと生きた岸部さんとスター沢田研二を巡る感動秘話──。
8月28日に亡くなった岸部四郎さん(享年71)。岸部さんをマネジャーとして公私ともに支えてきたのが、前妻との離婚後、1994年に再婚した14才年下の妻・小緒理さんだった。
仕事は好調だった岸部さんだが、その陰には金銭感覚の狂った私生活があった。趣味の骨董を買い集め、アメリカのディスコやヘリコプター会社なども経営。頼まれるがままに知人の連帯保証人も務め、前妻への慰謝料の支払いも相まって日々の返済に困るようになり、ヤミ金にも手を出してしまう。
1998年に自己破産し、13年半出演した『ルックルックこんにちは』(日本テレビ系)を自主降板したときには、借金は5億2000万円にもふくれあがっていた。
悪いことは立て続けに起こる。自己破産後、テレビに再び出演するようになり「俺を誰や思てんねん、元金持ちやぞ」などの自虐ネタで人気を集め始めた矢先の2003年、脳内出血で倒れ、後遺症の視野狭窄に悩まされるように。2007年には、病めるときも貧しきときも傍らにいた愛妻を心臓発作で突然、失った。小緒理さんはまだ43才という若さだった。
「奥様の訃報が出る前に電話をしたら、岸部さんは“何も手につかない”と。慌ててお弁当を4つ買って自宅に駆けつけました。岸部さんは大食漢ですから。自宅は散らかっていて、岸部さんはお手製の祭壇の前で憔悴していました。それでも弁当をペロリと2つ完食。残りの2つは夕食にとっておくと。何も食べていなかったんでしょう。公私ともに奥様に任せていた人でしたから」(芸能リポーターの城下尊之さん)
その後、岸部さんは一回り年上の姉を頼り、都内から千葉へと転居。だが、体調を崩し、大腿骨も骨折して、60代になったばかりの若さで老人ホームで暮らすことになった。
岸部さんは、妻以外の人に頼るのが下手だった。実兄である岸部一徳(73才)のことも他人行儀に“一徳さん”と呼んでいたほどだ。ただ、兄は弟に手をさしのべようとしていた。自己破産後、一徳は自分の所属事務所に入らないかと岸部さんに声をかけているのだ。
「このとき、四郎さんは奥さんから“結局はお兄さんに頼るのね”と言われ、一徳さんの申し出を断っているのです。兄と、苦楽をともにしてきた妻、どちらを取るかで妻を選んだということでしょう。結局、一徳さんはマネジャーを介して20万円を送るに留めたそうです」(芸能関係者)