【書評】『孫基禎 ──帝国日本の朝鮮人メダリスト』/金誠・著/中公新書
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)
今、読まれるべき五輪史だ。一九三六年、ベルリンオリンピック。マラソンで金・銅メダルを獲得したのは日本代表だった。優勝の孫基禎。三位の南昇龍は、ともに、朝鮮半島出身の朝鮮人である。彼らは〈朝鮮民族の代表として帝国日本のマラソンランナーになった〉。孫の快挙は、日本では国威発揚に利用され、朝鮮では民族の優秀性を示す英雄として扱われた。
本書は、孫の生涯を通じて、スポーツ選手が国と民族を背負わされた時代、さらに日本と朝鮮半島の複雑に絡み合った近現代史の関係を、冷静な筆致で描いていく。
孫は、日韓併合の二年後、一九一二年に現在の北朝鮮・新義州で生まれた。貧しい家庭に育った少年は、走ることに喜びを見出した。十代半ばで中距離選手として頭角をあらわし、二十歳でフルマラソンを初めて経験した。三五年にオリンピック第二次予選を兼ねた競技会で世界最高記録(最終選考レースは二位)、ベルリン五輪では当時の五輪最高記録を打ち立てた。
日本は喜びの熱狂で沸き、新聞は「半島選手の勝利」を植民地支配の成果と結びつけて報じた。一方、朝鮮の新聞では「世界制覇の朝鮮マラソン」という見出しが躍った。大問題に発展したのは『東亜日報』が掲載した写真である。
表彰台の孫の胸にあるはずの日の丸が意図的に消されており、同紙は発行停止処分となった。孫の与り知らぬことではあるが、日本の当局は、朝鮮の民族運動を誘発する人物として彼を警戒する。