巨人が独走している。9月29日の広島戦では、先発の菅野智之が開幕からの連勝を12に伸ばし、戦前の1938年春のビクトル・スタルヒンの記録を超えた。次戦で、堀内恒夫が1966年に作った13連勝のチーム記録に挑むことになる。
菅野の熱投やウィーラーの攻守に渡る活躍で、巨人は2位・阪神とのゲーム差を12.5ゲームとし、マジックは23に減った(記録は9月29日現在。以下同)。このペースで行けば、10月中旬から下旬にかけて、優勝が決まるだろう。新型コロナウイルスの影響で、6月19日に開幕した今季、セ・リーグはクライマックスシリーズを開催しないが、パ・リーグは1位と2位が対決する形で行なう。そして、日本シリーズは11月21日から始まる。野球担当記者が話す。
「巨人が順調に勝ち星を積み重ねていけば、優勝決定から日本シリーズまで1か月近く時間が空くことになる。その場合、緊張感の欠如や調整の仕方が心配されています。引き合いに出されるのは、1990年の独走優勝です」(以下同)
平成2シーズン目の1990年、巨人は野村克也新監督率いるヤクルトとの開幕戦を篠塚利夫の“疑惑のホームラン”もあって勝利を収めると、4月を14勝5敗と開幕ダッシュに成功する。一度は首位の座を明け渡すも、5月8日に桑田真澄が大洋打線を完封し、首位に返り咲き。その後一度もその座を譲ることなく、9月8日に吉村禎章の劇的なサヨナラ弾で優勝を決めた。今も破られていない両リーグ史上最速Vだ。しかし、10月20日開幕の日本シリーズでは、西武相手にまさかの4連敗。選手会長の岡崎郁が「野球観が変わった」と話し、チームやファンに衝撃を与えるほどの惨敗を喫した。
「この年と同じように、今年も独走していますが、チーム事情はだいぶ異なります。1990年はレギュラーも先発ローテーションも固定されており、特に野手陣は若手が入り込めなかった。スタメンと控えに明らかな差があったのです。しかし、今年は坂本勇人、丸佳浩、岡本和真の3人が固定されているくらい。最近は吉川尚輝、松原聖弥の1、2番が定着しつつありますが、彼らも不調になればすぐ取って代わられる。序盤から安定的に力を発揮しているベテランの中島宏之、捕手の大城卓三もウカウカしていられません。競争が激化しています」
1990年の巨人はクロマティ、原辰徳、吉村禎章のクリーンアップ、下位に岡崎郁、駒田徳広が座り、上位は緒方耕一、川相昌弘が名を連ねていた。篠塚は腰の具合を見ながら出場し、相手の先発を左と読めば、吉村に代わって左キラーのベテラン・西岡良洋や外国人のブラウンが先発していた。ドラフト1位の新人・大森剛は左の代打としてチャンスをもらっていたが、打率1割4分6厘と期待に応えていたわけではなかった。