放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、半年ぶりにライブ、鼎談、落語と「生」に触れた日々についてお届けする。
* * *
“生麦・生米・生放送”。私は放送もビールもすべて生が好き。半年ぶりにゆっくりとだが、ライブやら舞台、そして生の人間に触れる日々だったので、今回は永井荷風の『断腸亭日乗』を気取って私は「談笑亭日常」と参りましょう。
9月12日。明治座も半年ぶりに1か月公演で8月28日からスタートした氷川きよしの恒例、芝居とコンサートの二本立て公演の中日(なかび)。客席は勿論半分の制限だが、マスクをしててもおばさま達の期待度は2倍3倍。氷川きよしと座付き司会者の西寄ひがしとのトークコーナーで、目一杯、私がいじられるという羞恥プレイ。舞台終わって留守電をきくと、すでに氷川からお礼の電話が録音されていた。出演者、スタッフの1か月の無事を祈るだけ。
9月14日。松之丞改め神田伯山。今年のはじめの真打昇進の直前、新聞に割と辛口でバッサリ斬った演芸・演劇評論家、長老の矢野誠一(85歳)に直接電話をして「僕のどこがいけないんですか」怒鳴り込んだ伯山、若さというヤツだ。相手はなんせあの“やなぎ句会”で永六輔、小沢昭一、桂米朝らと俳句を楽しんできたお人だ。
気付けば皆死んじゃって、話相手は人間国宝の柳家小三治師のみ。私は伯山に「こういう大衆芸能は、古い人に直接話をきいとくのが一番の財産だぞ」と諭し、私があいだに入って手打ちを兼ねて鼎談。詳しくは伯山連載の雑誌とユーチューブでという事だが、若武者に胸を貸す古武士の趣きでなかなかのものでした。
きけば伯山の師匠松鯉、その師である山陽と矢野氏はなかなかの確執があったようで、三代にわたるDNAとのあれこれという事が私なりに判明。納得。なんでも話はきいとくもんだ。矢野氏曰く「伯山は若い頃の談志クンに似てるネ」。リアクションに困る伯山であった。