田中角栄をほうふつとさせる「叩き上げ」の半生、自民党としては海部俊樹以来の「非世襲」、そして党初の「無派閥」の総理大臣……新たにわが国のトップに立った菅義偉首相(71才)は、これまでの総理大臣とは一線を画す人物であるかのように思える──。
高校を卒業して上京し、都内の段ボール工場に就職した菅青年は、大学進学への思いが強くなり、数か月で退職した。アルバイトで生計を立てながら受験勉強をして、上京から2年後に法政大学法学部政治学科に入学した。その意味では、叩き上げの苦労人であることは間違いない。
卒業後は民間企業を経て、神奈川県横浜市出身の小此木彦三郎衆議院議員の秘書として11年間勤務する。この間、小此木氏のもとで住み込みの家政婦として働いていた真理子さんを見初めて結婚した。静岡県出身の真理子さんは、県内の大学を卒業後、一度農家に嫁ぎ、離婚している。
小此木議員の末席の秘書からのし上がり、横浜市議を2期務めたのち、1996年の衆院選に出馬して初当選。
「上京してからの苦労が、政治家としての菅さんの信条をつくったのでしょう」
そう指摘するのは、菅首相を知る政治関係者だ。
「段ボール工場でつらい作業を経験して、苦学して11年間も辛抱強く秘書を続けた経験があるだけに、東大法学部を出たようなエリート官僚にも気後れせず、“お前も段ボール工場で働いてみろ”というくらいの気概がある。
何の苦労もなく、親から『地盤』『看板』『カバン(お金)』を引き継ぐ二世議員への反発心も強い。実際、麻生政権で党の総務委員長だったとき、二世の出馬禁止を打ち出しています」
菅内閣に総務相として入閣した武田良太議員は、麻生太郎副総理と同じ福岡選出の、いわば“天敵”だ。これにより、“麻生外し”がはじまっているという見方もある。
一方で、自分と同じような境遇の人間には手を差し伸べる。現在、横浜市議を務める遊佐大輔さんは、大学3年時に祖父の企業が倒産し、やむなく大学を中退して、民間の廃棄物収集会社に就職した。その会社は菅首相を支援しており、若き日の遊佐さんは、そこで菅首相と知り合うこととなる。