認知症の母(85才)を支える立場である『女性セブン』のN記者(56才)が、介護の日々の裏側を綴る。今回は、介護の孤独にまつわるエピソードだ。
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コロナ禍で誰もが苦しかったこの夏、私もひどく憂うつな気持ちに陥った。苦しくて眠れない夜もあった。単なる母の介護問題ならサクサク解決に立ち向かういつもの自分が、得体の知れない闇に迷い込んだように、動けなくなってしまったのだ。
母は見抜いていた娘の緊急事態
「感染防止第一なのは当然です。外出しないのがいちばんなのもわかってますよ!」
柄にもなく声を荒らげたのは7月下旬。夏前に東京の新型コロナの感染者数が一時落ち着き、休止していた母のデイサービスを再開したのも束の間、感染者数が急増し、サ高住のホーム長やケアマネジャーに、再びデイサービスの利用休止を迫られたからだ。
緊急事態宣言から、母のデイサービスを巡ってはたびたびバトルを繰り広げていた。彼女らは運営会社の方針もあって徹底自粛を唱え、私は認知症悪化を心配してデイサービス続行を訴えていた。しかし、サ高住職員がデイサービスを禁止することはできないため、反対を押し切って行くことはできる。前回の再開も半ば押し切る形だった。
ところが再開すると、安堵や喜びどころではなく、今度は感染の恐怖が襲ってきた。いまやデイサービスは、行くも地獄、行かぬも地獄なのだ。ケアマネジャーたちの頑なな“自粛一点張り姿勢”に思わず怒りがわいた。そして何より、これまで一緒に母を支えてくれていたはずの彼女らが、敵陣で私に刃を向けていることが悲しかった。
気づくと猛烈な孤独感に包まれていた。母の問題なのに、仕方のないコロナ禍なのに、なぜこんなに悲しいのか。
「Nちゃん、心配事ない?」
ケアマネジャーたちとのバトルの後、顔を見せた私に母が言った。認知症の母が繰り返し発する定番のせりふだが、このときは心に染みた。