【著者に訊け】松尾清貴氏/『ちえもん』/小学館/1900円+税
江戸寛政年間の長崎沖で巨大オランダ船・エライザ号が座礁。この引き揚げに周防国櫛ヶ浜出身の廻船商、村井屋喜右衛門が関わり、まさに“知慧もん”ぶりを発揮した史実を本書は扱うが、「重機もない時代にそれをやってのけた凄さを、ぜひ体感してほしい」と、著者・松尾清貴氏は言う。
物語は徳山湾を望む浜で網元の末子〈吉蔵〉と廻船屋敷の次男坊・喜右衛門が出会い、互いに一目置いた宝暦13年の邂逅に始まる。共に長男ではなく、家庭内では厄介扱いされ、その分、どこへでも自由に行けた〈持たざる者〉たちの、青雲の志を描く。
吉蔵や、彼が夜這いに通う〈チヨ〉らを除き、本書ではほとんどの人物が実在する。地元でも知る人ぞ知る座礁事件の隣に2人の友情を紡ぎ、飢饉や疫病が相次いだ激動の時代に、今改めて光を当てた理由とは?
本作は著者初の本格歴史小説。2004年のデビュー以来「君なら歴史物が書ける」と編集者に口説かれ続け、8年程前、『こんな凄い人がいたって、知ってた?』と手渡されたのが、片桐一男著『開かれた鎖国』という一冊の新書だったとか。
「その中に沈船引き揚げに関する章がありました。確かに凄い話なのですが、この手の話って美談にされ過ぎてしまうんですよね。僕自身は立派な人の立派な話に特に物語性を感じませんし、こんな難事業を何の打算もなく無償でやるかなあと、特に動機面に納得がいかなかったのです。それでしばらくは手を付けずにいました。でも、詳細な史料がない=小説向きともいえるんです。動機に関しても、打算も下心もある商売人が船を引き揚げたと考えれば面白くなると思い、書き始めました」