肩まで伸ばした豊かな髪に、ゴージャスなガウン。長いまつげにはきれいにマスカラが重ねられ、唇には印象的なオレンジのリップが塗られている。口に手をあて「ホホホ」と笑う姿は、いかにも貫禄ある“梨園のおかみさん”だ。河合盛恵さん(64才)は、歌舞伎俳優・尾上松也(35才)の母親だ。松也といえば、梨園では、市川海老蔵、松本幸四郎に次ぐ若手世代のリーダー格。現在は歌舞伎のみならず、ドラマ『半沢直樹』(TBS系)などのほか、バラエティーに舞台にミュージカルにと多方面で活躍中だ。
盛恵さん本人も、『ぴったんこカン★カン』(TBS系)などのバラエティー番組に出演するたび、その豪快なキャラクターから「松也のママ、強烈すぎる……」と、SNSなどで話題となっている。しかしいままで、盛恵さんは自身についてはほとんど語ることはなかった。今回、インタビューを受けた理由をこう明かす。
「最近、自分の人生を一から振り返る機会がありました。山あり谷あり、思えば、起伏の激しい人生でした。これまでは夫の松助(歌舞伎俳優の故・尾上松助、享年59)であったり、息子の松也、娘の真由香(27才。劇団新派に入団し、春本由香として活躍中)のことばかりを思い、生きてきました。でも、子供たちも独り立ちしたいま、私自身のことを改めて振り返りたくなりました。そして、きちんと記事にしていただけるなら、と思ったのです」(盛恵さん・以下同)
そして、大きくひと呼吸した盛恵さんは、自分の波乱に満ちた半生を語り始めた。
幼い頃から「女優」が夢。履歴書を抱え、松竹演劇部へと乗り込む
盛恵さんは1956年、神奈川県鎌倉市材木座に生まれる。父は日本刀の鍔(つば)などを作る彫金師。着物好きな専業主婦の母と9才年上の姉との4人暮らしだった。幼い頃から清元、琴、日本舞踊を習い、時代劇が大好き。なかでも市川雷蔵ら映画スターの大ファンで、時間があると映画を見て過ごした。いつしか「自分は女優になるんだ」という思いを強くしていった。
「彫金師の父は画集をたくさん持っていました。それらを眺めるのが好きで、なかでも日本画家の鏑木清方が大好きでした。彼が描く美人画の女性たちに憧れて、『この絵の中に入ってみたい』と夢想したものです。
そんなときに、たまたま新派の舞台を見に行ったんです。明治や大正時代を舞台とする新派の世界観は、鏑木清方の絵そのもの。全身に電撃が走りました。高校卒業前、履歴書を書き、松竹演劇部の門を叩いて、『私を新派の女優にしてください!』と乗り込んだんです。松竹では『前代未聞だ』と大騒ぎになったそうです(笑い)」
熱意が伝わったのか、念願かなって新派入りした盛恵さんは、初代水谷八重子の弟子となる。当初はなかなかいい役がつかなかったものの、歌舞伎俳優の坂東玉三郎に見いだされ、「面倒をみてあげる」とかわいがられた。盛恵さんは玉三郎から化粧の仕方などを一から教えられ、みるみる頭角を現していく。そして玉三郎が座頭の公演では、玉三郎に次ぐほどの大きな役がつくようになった。
そして、1985年にはNHK大河ドラマ『春の波涛』への出演が決定。女優として大きく飛躍しようとした。そんな最中、交際中だった歌舞伎俳優・尾上松助との間に子供ができたことがわかる。妊娠3か月だった。
「当時の大河は、いまとは比べものにならないほど、ステータスの高い番組でした。大河に出るということは女優としての成功が約束されたようなもの。できるなら出演をお受けしたかった。周囲からも『裏切りだ』と責められましたし、正直なところ、『この子を産まない』という選択も考えました。
でも、このタイミングで命を授かったこの子には、きっと何かの意味があるはずと考え、産むことを選びました。NHKからは『大河を断った女優なんて前代未聞』とまで言われました(苦笑)。そう、息子は“大河とひきかえに生まれてきた子”なんです」