『サザエさん』の作者として知られる長谷川町子さんは、2020年1月に生誕100周年を迎えた。この7月には、町子さんの作品を展示する『長谷川町子記念館』がオープンし、活況に沸く。再び注目を集める町子さんは、いまよりずっと女性がひとりで生きるのが難しかった時代に、軽やかに、そしてしなやかに「おひとりさま」を全うした人物。その生き方を、いまこそ学びたい。
町子さんの漫画家としての全盛期は、「結婚して当然」とされた時代だ。実際、1960年の未婚率は、たった8%にとどまっていた。
《結婚は、もうぜんぜんお考えになりませんか》
《マンガのサザエさんは幸福な結婚生活をしているが、生みの親はまだ独身──》
当時の雑誌インタビューでは、町子さんが未婚である理由にたびたびスポットが当てられた。しかし町子さんは気色ばむことなく、ひょうひょうと「毎日が楽しいせいか、結婚なんて考えたことがない」などと回答している。
「本当に結婚は眼中になかったと思いますよ」──こう話すのは、町子さんの姪である長谷川たかこさん。町子さんの妹・洋子さんの娘で、町子さんの著書にたびたび登場し、ワカメちゃんのモデルにもなった、自慢の姪っ子だ。
「多くの人に愛される漫画を描き続けることが、彼女の情熱であり、苦悩でした。そこに結婚の入り込む余地はなかったと思います」(たかこさん)
長谷川町子美術館3代目館長で町子さんの作品を出版していた「姉妹社」の社員として半世紀近く彼女を支えた川口淳二さんも、「気づいたら結婚していなかったというのが本当ではないか」と話す。
「町子先生は大の家族思いです。お父さんを亡くして女性だけになった家族を、漫画家として支えるという意志があった。4人家族の強い絆のもと、ひたすらに仕事に打ち込み、気がついたら結婚が後回しになっていたのでしょう」(川口さん)
つまり、町子さんは、人生において「何が大切で、自分に必要なのか」がはっきりとわかっていたのだろう。大切にしていたのは、家族と仕事。それは彼女の生活において一体化していた。6才で父親と死別し、大学生になるまで町子さんと一つ屋根の下で暮らしていたたかこさんは、その様子を目の当たりにしていた。
「朝刊に連載の『サザエさん』は、毎日が締め切りでした。私が学校から帰る頃、町子が2階からダダダッと階段を下りてきて、黒電話のダイヤルを回すんです。ファクスもない時代だから、ギリギリのときは『電送でお願いします!』と連絡をするためです。
で、しばらくすると、つなぎを着てバイクに乗った男性がやって来る。清書した原稿を入れた袋を持った町子がまた、ダダダッと階下に下りてきて、それを渡す──それでようやく家の中の空気が緩むんです。当時の長谷川家の日常は、まさに町子の仕事を中心に回っていました」(たかこさん)