1946年に連載が始まった『サザエさん』をはじめ、『いじわるばあさん』『エプロンおばさん』などの傑作を生み出した長谷川町子さん(享年72)は、2020年1月に生誕100周年を迎えた。
この7月には、自宅があった東京都世田谷・桜新町に、町子さんの作品を展示する『長谷川町子記念館』もオープンし、活況に沸く。
町子さんは、1920年(大正9年)、父・長谷川勇吉さんと母・貞子さんの三女として佐賀県に生まれた。上に長女の毬子さん、次女の美恵子さんがいたが、次女は5才で夭折し、その後に妹の洋子さんが生まれた。
福岡の地元紙・西日本新聞社から発行される『夕刊フクニチ』から連載漫画を依頼され、1946年4月22日から『サザエさん』をスタートさせる。半年ほどのんびりと連載を続けていたある日、知人が全国紙の求人欄を持って駆け込んできた。
そこには有名出版社の名でこう記されていた。〈長谷川町子さん 仕事をたのみたく 至急れんらくたのみます〉。
父・勇吉さんを肺炎で失っていた一家は、家を売って上京。家族でやりくりする小さな出版社「姉妹社」を設立した。社長には、長女の毬子さんが就任した。それから女性ばかりの長谷川家で町子の漫画家生活を支え続けた。
納骨が終わるまでは公表しないでほしい
しかし、鉄の結束を誇った一家にも、病気や死別は平等に訪れる。町子さんの母・貞子さんが晩年に認知症を患ったのだ。
かつて先頭に立ち、女だけの家族を引っ張ってきた貞子さんが、ガスコンロをつけっぱなしにして、徘徊するようにもなった。日によっては娘の顔を忘れて他人と思い込み、他人行儀な口調で自身の幼少期の思い出話を語って聞かせることもあった。
町子さんの姪である長谷川たかこさんはこう振り返る。
「私にとっては信仰が厚く型破りな祖母で、いい思い出が残っていますが、母たち3姉妹にとっては、とても厳しくワンマンな人。どんな苦境のときも理屈ではなく、鶴の一声で一家を引っ張ってきた大黒柱でした。しかも当時は認知症という言葉がなく、“老人ボケ”といわれ病気という認識も薄かった。それだけに3姉妹のショックは大きかったはずです」(たかこさん)