2012年のロンドン五輪で金メダル、2016年のリオ五輪で銅メダルと、五輪で2つのメダルを獲得した柔道家の松本薫(33才)は、現在2児の母として子育てに奮闘しつつ、後進の指導に当たっている。「野獣」とも呼ばれた彼女は、どうやってオリンピックチャンピオンになったのか? 松本に話を聞いた。
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〈石川県金沢市で産声を上げ、5人きょうだいの4人目に生まれた松本薫は、両親の教育の一環で兄や姉に倣い、柔道を始める〉
いちばん上の兄がすごく優しい性格だったため、「いじめられない強い子に育ってほしい」と思った両親が柔道を習わせたのがきっかけで、その下の姉2人も私も、当然のように岩井柔道場に通い始めました。
初めて道場に行ったのは5才のとき。施設の外にまで、先生の怒号が漏れ聞こえてきて驚きました。とにかく厳しいことで有名な道場だったんです。私が始めたのは6才頃でしたが、ピーピー泣いていると、「いつまで泣いているんだ!」と言われる。それが怖くて、必死で泣くのをこらえる日々でしたね。練習は、平日は夕方5時から夜9時までで、休日は朝から晩までの12時間。これが365日、中学に上がるまで続きました。
〈金沢市立兼六中学校に進学後は、道場を離れたものの、当然のように柔道部に入部。中3のときに、52kg級で出場した全国中学校柔道大会で初優勝。その才能が認められ、中学卒業と同時に上京。スポーツ強豪校として知られる藤村女子高校に進学することになる〉
せっかくそれまで耐え抜いてきたので、中学で柔道部に入部し、中学卒業と同時に柔道をやめるつもりでしたが、大会で優勝してしまい、卒業して気がついたら東京にいました(笑い)。というのも、幼い頃から、先生に怒られないために柔道をしていたので、中学の先生から「藤村女子高校に行くだろ?」と聞かれたら、「はい」としか言えなかったんです。でも、実際に東京に行ったら、そこで初めて反抗期みたいになってしまって……。
〈藤村女子高は、日本のトップ選手が多く所属している柔道の名門校。オリンピックを目指す先輩の中に、いきなり入れられてしまった彼女は、さすがにそのギャップに苦しむこととなる〉
柔道に対する意識が違いすぎたんです。もちろん私もオリンピックへの憧れがなかったわけではないのですが、現実は、やっと厳しい道場から解き放たれた解放感でいっぱいで……。すぐに世界を目指すという気持ちにはなれなかったんです。