旧・立憲民主党と旧・国民民主党の一部が合流し、「新・立憲民主党」が誕生したのは9月15日のこと。衆参合わせて150人の国会議員が参加し、自民党に対抗する新たな野党勢力として一丸となった……はずだった。しかし、立ち上げからわずか1か月で不協和音が聞こえてきた。きっかけとなったのは機関紙『立憲民主』の「創刊号」だった。
結党大会から1か月ほどが過ぎた10月中旬、所属国会議員のもとに機関紙『立憲民主』が配布された。旧・立民時代も同名の機関紙が発行されていたが、合流新党となった後の“創刊号”にあたるということで、一面の右上には〈Vol.1〉の文字があった。立憲民主党所属議員の事務所関係者が語る。
「結党大会の様子が一面で大きく紹介され、創刊号に相応しい内容だと思って読んでいました。ところが翌週(10月第3週)になって、改めてもう1部配布されたんです。同じものかと思ったのですが、よく見ると前の週に配られたものから、内容が一部変更されていました」
『週刊ポスト』編集部で2つの創刊号の現物を検証した。A4版で8ページの総カラー。1ページ目は〈新・立憲民主党 始動〉と題して結党大会の様子を紹介し、3~6ページは合流新党に参加した議員150人の写真入りプロフィールが掲載されている。これらの内容に違いはない。
違いがあったのは7ページ目だ。
このページには、執行部の議員が各県連の設立大会を訪れた際などの発言が写真入りで紹介されているのだが、最初に配られた“1つ目の創刊号”に載っていたのは枝野幸男・代表、福山哲郎・幹事長、蓮舫・代表代行、江田憲司・代表代行の4人。
一方、あとから配られた“2つ目の創刊号”では、そこに「平野博文・代表代行」が加わって5人の発言が紹介されている。
「もともとこのページの趣旨は、結党後に執行部のメンバーが各地の県連の設立大会を行脚した様子をレポートするものだったそうです。合流新党は、枝野代表を蓮舫氏、江田氏、平野氏の3人の代表代行が支える体制ですが、どうやら紙面の締め切りのタイミングと平野氏の地方行きのスケジュールが合わず、当初の号では掲載できなかったようです」(立憲民主党関係者)