東京・浅草6丁目は、江戸時代には猿若町と呼ばれ多くの芝居小屋が集まり賑わっていた。この地で3代続く『酒井屋』は老舗の酒屋だ。
店の目の前は、初代・中村勘三郎の芝居小屋の跡地で、今でも芝居好きの観光客が訪れるという。
3代目女将の江口正子さんが夫の昇さんとともに夫婦でのんびりと営業を続けて来たが、
「祖父がやっていた角打ちを復活したら、店がもっと活気づくと思ったんです」と語る末娘の知代さんの発案がきっかけになり一念発起。昨年、店主夫婦が子供らと共に手作りで店内を改装した。
「隅田川の花火のころから角打ちを再開しました。(改装には)最初は、あまり気乗りしなかったんですけど、こうしてお客さんと会話ができるようになって、今はとてもよかったと思ってます。親孝行してもらいましたね」と女将の正子さんは目尻を下げる。
新たに店の奥に設えた角打ち空間。床には北欧製の木製タイルが敷き詰められ、黒く塗られた天井からは、雰囲気よく店内を照らす灯りが施され、角打ち台が2つ置かれた。居酒屋風の小上がりもある。
夫妻の2人の息子や娘婿も加わって一家総出で作り上げた温かみのあるスペースに出来上がった。
完成までに半年あまりかかったというが、まるで実家の居間のような雰囲気だ。
「この近所に住んでいるんですが、ある日、店の前を通ったら『角打ち』って書かれたえんじの暖簾を見かけてね。最初はおっかなびっくりでしたが、入ってみたら、店の奥が広くて居心地が良くてね、今じゃ週1ペースで通っています。僕は北海道から単身赴任しているので、1人が寂しくてね。あったかいお母さんと少し離れたところで静かに見守るお父さんは、僕にとってまるで東京の両親のようです」(50代、医療薬品関係)
角打ちを再開して、新たな常連客も増えてきた。
「私は、地方出張のときに、よく角打ちに寄るんですが、こういう都会の下町にある角打ちも味があっていいですよね。ほら、ときにサラリーマンって寂しいもんなんですよ。働く男は孤独っていうか。だからこういう優しいお母さんがいる店で、見ず知らずの客同士が他愛もない話でもしながら一杯やるのがいいね。誰もが人の温もりを感じたいのかもしれないよね」(40代、鉄鋼関係)