セ・リーグ優勝マジックが1桁になってから自力では2つしか減らせていないものの、遂に「1」になった巨人。10月11日以降、3連敗を2度、そして現在5連敗中と急激に失速し始めている。昨年は敵地・横浜スタジアムでDeNAを下して、原辰徳監督を胴上げしたが、今季も自力での達成はできるのか。2リーグ分裂以降、巨人は昨年までセ・リーグを37回制している。そのうち27回は自力で優勝を決定している。野球担当記者が話す。
「ミレニアムである2000年の優勝は、ドラマでも筋書きを描けないような展開でした。4対0と完封負けを許しそうな9回裏、元木大介、高橋由伸、松井秀喜の3連打で塁を埋め、江藤智が同点満塁弾。興奮冷めやらぬ直後、二岡智宏がライトへサヨナラ本塁打を放ち、4年ぶりに長嶋茂雄監督が胴上げされました」(以下同)
優勝決定試合のホームランといえば、1983年のレジー・スミスも忘れられない。前年サンフランシスコ・ジャイアンツで2割8分4厘、18本塁打を放っていた現役メジャーリーガーはシーズン中、原辰徳の後に控える5番打者として相手に脅威を与えた。そして、勝てば2年ぶりの優勝が決まる10月11日、本拠地・後楽園球場でのヤクルト戦では先制、勝ち越し、ダメ押しと3本の本塁打を放ち、6打点で藤田元司監督を胴上げした。
その藤田監督が2度目の就任を果たした1989年、10月6日の横浜スタジアムでの大洋戦も語り継がれている。7回に原の2ランで先制した巨人は、8回表にその年限りでの引退が噂されていた中畑清がバッターボックスに立つ。“燃えろコール”を受けたヤッターマンは、右翼線へ打球を放ち、セカンドに悠々間に合うタイミングにも関わらず、ヘッドスライディングを敢行。スタンドにウェーブを巻き起こした。
「翌年の優勝も劇的でした。1988年に札幌円山球場で左ヒザのじん帯3本を断裂し、腓骨神経も損傷した吉村禎章が完全復活を遂げ、9月8日のヤクルト戦で延長10回に巨人キラーの川崎憲次郎から優勝を決めるサヨナラホームランを放ち、史上最速優勝を決めました」
1994年には勝った方が優勝の『10.8決戦』、1996年には『10.6決戦』で共に敵地のナゴヤ球場で中日を破り、長嶋茂雄監督が宙に舞った。その長嶋茂雄と王貞治のON砲を擁して9連覇を達成した1965年から1973年の間は、7回も自力で優勝を決めている。1973年は阪神の本拠地・甲子園球場で達成したが、試合終了後にファンがグランドに乱入したため、球場内では川上哲治監督の胴上げは行われなかった。