2016年のリオデジャネイロ五輪競泳女子200m平泳ぎで金メダルを獲得した金藤理絵(32才)。そこに至るまでには、「メダル候補」といわれながら、腰痛に苦しみ、2012年のロンドン五輪で代表落ちするという挫折もあった。
高校で体育教師をしていた父に水泳を教えてもらいスタートした金藤の水泳人生。広島県立三次(みよし)高校時代には、インターハイで優勝(種目は女子200m平泳ぎ)、大学はトレーニング技術が学べる東海大学体育学部を選択した。同大学に加藤健志コーチがいたことも進学の大きな決め手となった。
順調にタイムも伸び、大学2年生のときには北京五輪(2008年)で代表入り。初めて挑んだ女子200m平泳ぎでは7位に入賞する。当時を金藤本人が振り返る。
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体調の変化を考慮しつつ、着実に練習を積み重ね、北京五輪で代表に選ばれました。
金メダルを取りたいと心底思ったのは、北京で北島康介さんが2度目の金メダルを取ったとき。間近で試合に向かう北島さんの姿を見ることができた私は、表彰台に立つ北島さんの勇姿に、「私もあの場に立ちたい!」と強く思いました。
その結果、私は女子200m平泳ぎで7位に入賞することができました。「よし、次は金メダル!」と、心に誓って帰国。でも、その翌年、思わぬ挫折が待っていました。
〈2009年日本選手権、ユニバーシアードで日本記録を樹立。同年の世界水泳選手権でも同種目で5位に入り、次のリオ五輪のメダル候補と目されるが、腰痛が悪化してしまう〉
この年は、競泳のルールに変更がありました。当時は高速水着が主流でしたが、2010年から着用禁止に。タイムが停滞するのではないかと心配する声もありました。が、幸いにも、私は2010年は2009年よりもいいタイムで練習ができていたので、影響を受けずにすみました。
でもその直後の練習中に腰に激痛が走り、病院へ行くと、ヘルニアと診断されたのです。
腰が治るのかという不安。2年後に控えた2012年のロンドン五輪。焦りとプレッシャーでネガティブ思考に陥ってしまった私は、オリンピックの選考会が近づくにつれ、「うまくいかないんじゃないか」と思うようになり、勝つ意欲どころか、真逆のメンタル状態になってしまったのです。