阪急阪神ホールディングスの角和夫・代表取締役会長グループCEOの鶴の一声で、阪神タイガースの揚塩健治・球団社長が辞任を表明したのが10月9日のこと。NEWSポストセブンでも報じたが、“不可侵”とされてきたタイガースのトップ人事に「阪急」のトップが口を出したということで、タイガース・ファンのみならず、関西財界までもが、「いよいよ阪急タイガースになるのか」と興味津々だ。
『週刊ポスト』(11月6日発売号)では、阪急vs阪神の長年にわたるライバル関係と球団経営の行方について特集しているが、そもそも経営統合(2006年)前の阪急と阪神は、球団同士も電鉄同士も水と油だった。そうなった理由としては会社設立当時にまでさかのぼる深い因縁がある。
本業である電鉄業では、半沢直樹も驚く仁義なき戦いが繰り広げられた。在阪新聞社の社会部記者が語る。
「阪急の宝塚駅から阪神の尼崎駅まで阪神バスが走っていますが、これは昭和初期に阪神がここに電車を通そうと狙っていた名残です。しかし、阪急宝塚線に挑んだこの計画は頓挫してしまいました。逆に、阪急の塚口駅から阪神の尼崎駅までは阪急バスが入っていて、これは阪急が伊丹線を尼崎まで延長しようと画策した名残です。これも諸般の事情で潰れてしまった計画です。両社には、そんなつばぜり合いの歴史が山ほどあり、その名残は今でもあちこちに見られます」
阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道は、大阪と箕面、宝塚を結ぶ路線として開業したが、その後は阪神、京阪、南海に対抗するために周辺の電鉄会社を統合していく計画だった。そのなかには、阪神電鉄と並行して山手側に建設許可を得ていたものの未着工だった灘循環電気軌道の買収計画もあった。阪神への対抗を意識したものだったが、阪神電鉄が訴訟を起こして妨害しようとした。最終的に3年の裁判の末に阪急が勝訴して神戸線を開通させることができたのだが、今も並行して走る両路線には、設立当時からの因縁があったのだ。