高圧的な態度と毒舌ネタで一世を風靡した、女性芸人・青木さやか。ネタの第一線から離れ、活動の幅を女優業に広げるに至った背景について聞いた。
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30歳ぐらいからテレビに出始めたのですが、もともと芸人だとは思っていなかった。タレントと言われるのも違和感があったので「女」にして欲しい、と提案したことがあります。まあ、そういうわけにはいかないと言われましたけど。
そもそも私の「キレ芸」は半分は本当に怒っていたんです。自分をさらけ出していました。一方で、キレたらウケるんだと客観的に思っていて、その怒りをデフォルメしていました。
当時の私は、お金もない、彼氏もいない、仕事もない、アナウンサーになりたかったのになれない。怒るポイントがいっぱいあったんです。例えば私よりも若くてかわいい女子アナに噛み付いたとしますよね。まあ、笑いになりますよね。でもテレビで売れて、女子アナのような仕事もさせてもらえるようになった。となると、噛み付くモチベーションがなくなりました。
テレビに出て1~2年ぐらい経ったときには、すでにキレ芸に限界を感じ始めていました。MCの方も「お前がキレないと終わらないから」みたいな感じだったと思います。昔は1億くらいあった怒りが、もう1になっていましたから。かなり長いこと無理をしていました。
私は勝手に「負け犬キャラ」を背負っていた気がします。でも、実際はお金もあるし、キレイな服を着て、キレイなメイクをして。でも負け犬を演じなければならない。彼氏を作っちゃいけないのかな、結婚もまずいよな、みたいな。義務じゃないけど、それで稼いでいるという負い目もあって、勝手に背負っちゃうんです。もう少し器用になれたらよかったのですが。先輩芸人の光浦靖子さんには「青木、がんばったね」ってよく言ってもらいました。