マツダが投入した新型SUV「MX-30」の開発を取りまとめた竹内都美子氏は、同社初の女性開発主査。自動車メーカーの技術職はいまだに男性社会のイメージが強いが、“リケジョ”の竹内氏はなぜマツダに入社し、その後どんな経験値を積んできたのか。じっくりと話を聞いた。
――マツダ入社の経緯を聞かせてください。
竹内:母の実家が島根県隠岐の島町で、子どもの頃から里帰りの際は国産旅客機のYS-11やフェリー、高速艇などいろいろな乗り物を利用していましたが、私はとりわけ飛行機が好きでした。自動車メーカーのエンジニアって飛行機好きが多いのですが、そんなこともあってエンジニア志望で理系に進み、大学では飛行機でもロボットでも使える「制御工学」を専攻していました。
大学は当初は自転車通学でしたが、途中からクルマを持つようになって、生活の幅が広がって行動範囲が一気に拡大したことに感動すら覚えたものです。乗っていたのは、ホンダさんの軽自動車「トゥデイ」でしたが、自動車メーカーに就職すれば、クルマに乗ることの素晴らしさをダイレクトにお客様に伝えられるのではと考えたのです。
――当時、大学のいわゆる“リケジョ”でエンジニアになる人はどのくらいいましたか。
竹内:もともと、理系クラスに女性は1割もいませんでした。90人いて7人ぐらいが女性という比率でしたかね。専攻した制御工学の同級生の多くは、コンピュータメーカーやIT産業、一部製薬会社などに就職した人が多く、製造業は比較的少なかったですね。
私は1997年にマツダに入社しました。研究開発部門で採用された中で、女性は私1人だけでしたが、女性が少ないからといって不安などはありませんでしたね。
最初は電子技術開発部に配属されて電子部品の設計を担当しました。その後、入社3年目の1999年、女性の運転免許保有率が40%を超えたということもあり、マツダ社内で女性の評価ドライバー(テストドライバー)を育てなければいけないという機運が高まりまして、手を挙げてその部署に異動しました。