スピリチュアリストの江原啓之さんと聖心会シスターの鈴木秀子さんによる対談本『日本人の希望』(講談社)が話題だ。“幸せの処方箋”を提示するこの本の冒頭で江原さんは、これから自殺者が増えるだろうという危惧を語ったが、今夏以降、自殺者が急増。江原さんの危惧は現実のものとなってしまった。
いま、自殺を防ぐにはどうすればいいのか、江原さんと鈴木さんに改めて対談をしてもらった──。
鈴木:自殺を考える人の多くが、誰かと自分を比べて絶望的な気持ちになっているようですが、自分を卑下するのは神様に対してとても失礼なことです。なぜなら人は皆、神様の自慢の作品であり、一人ひとり違うようにできているのですから。バラが桜を羨んで落ち込んでいたら、誰もが「馬鹿だなぁ、バラだって美しいのに」と思うでしょう。人も同じです。
江原:おっしゃる通りだと思います。
鈴木:聖書によれば、命というのは神様の愛の溢れとして与えられたもの。生きているということは神様の愛が注がれているということなのであり、命は私たち人間が持っているものの中で最も尊いものです。
江原:地位や名誉や財産に執着していると本質的なことを見失ってしまいがちですね。
鈴木:ノーベル文学賞を受賞したノルウェーの小説家、ビョルンソンが書いた『父親』という作品があります。ご紹介したいのですがよろしいでしょうか?
江原:ぜひ、お願いします。
鈴木:非常に裕福なひとりの男性のもとに息子が生まれ、教会へ洗礼を受けに行くと、司祭は「この子があなたの祝福となりますように」という言葉をあげます。男性は息子を慈しんで育て、息子もまた父親の期待に応えて立派な青年へと成長しました。ところが息子は不慮の事故で船から湖へ転落し帰らぬ人になってしまうのです。父親は嘆き悲しみ、家に引きこもってしまいます。
それから1年ほど経った頃、ひどく老け込んでしまった父親が教会へ向かう姿がありました。彼は家屋敷を処分したお金を司祭に差し出し、「このお金を恵まれない人のために使ってほしい」と告げます。すると司祭は「とうとうあなたの息子はあなたの祝福となりましたね」と言い、男性も「つらかったけれど、いまでは私もそれを信じています」と伝えるという物語です。
江原:どんなに深い悲しみも越えて生きていくことが私たちの使命だという教訓を得るとともに、愛する人に先立たれてしまったかたにとって救いとなるお話ですね。
鈴木:私はこの短い小説の中に、人間のあるべき姿が描かれていると思うのです。先ほど江原さんが自殺する人の特徴として物事を近視眼的に捉えていると話しておられましたけれど、いまだけを見つめて落ち込むのは愚かしいこと。そのときには試練でしかなくても、あとになってみたら、たとえば大病をしたから健康に気遣うようになったというように、あれは神様からの祝福だったのかと気づくことがあります。