鉄道、百貨店、不動産……様々な部門で“最大のライバル”だった「阪急と阪神」。その2社が手を組むという関西財界に衝撃を与える経営統合から、14年の月日が流れた。もともと「高級路線」の阪急と「庶民派」の阪神とカラーが違う2社だが、どういった相乗効果があったのだろうか。不動産事業と旅行事業について検証する。
不動産事業や旅行事業は「阪急阪神不動産」「阪急交通社」といった中核子会社にある程度、事業が集約されている。
「統合前、郊外を走る阪急は沿線開発に力を入れていたことで、バブル期に大きな負債を抱えていた。一方、阪神は路線が短いうえ都市部を走っているので開発できる土地がなかった。沿線には甲子園や阪神パークしか目ぼしいものがなかったことが幸いし、バブル後も財務状況は悪くなかった」(経済ジャーナリスト)
統合後に、「阪急阪神HD(ホールディングス)が旧・阪神の限られた不動産を売却して財務を改善した」と証言するのは、タイガースの元球団社長の野崎勝義氏だ。
「阪急は自らの腹はまったく痛めずに借金の穴埋めに成功したわけです」
野崎氏が阪神電鉄時代に長く勤めた旅行部門についても、複雑な思いが。
「阪急は低料金の大型ツアーが中心だったが、阪神は中身の濃い富裕層や企業向けのツアーを得意としていた。統合前は阪急の役員も阪神の旅行部門を利用していたほど。しかし、阪神航空が2010年に阪急交通社に再編・集約。ブランドとして確立していた旅行部門も、ホテルも統合されてしまった」(野崎氏)
“阪神ブランド”が失われつつあるという指摘だ。
※週刊ポスト2020年11月20日号