関西財界における最大のライバルだったはずの「阪急と阪神」が、経営統合をするという衝撃の展開から14年の月日が流れた。「高級路線」の阪急と「庶民派」の阪神と、ブランドイメージも異なる2社は、どう変化していったのか。阪急阪神HD(ホールディングス)の個別事業を見ていくと、長年続く“相克”や課題が見えてくる。
阪神タイガースや宝塚歌劇を含む「エンタテインメント事業」には、長年の“溝”が刻まれている。在阪スポーツ紙幹部が述懐する。
「かつて関西球界では盟主の座を巡って、阪神タイガースと阪急ブレーブスが熾烈な人材争いを繰り広げた。1956年の米田哲也(阪急入り)の二重契約にはじまり、1966年の江夏豊(阪神入り)、1979年の岡田彰布(同)ら地元出身選手の獲得では、裏で条件提示などで壮絶な奪い合いがあった」
両球団はトレードなどでの交流も一切なかった。
「在阪スポーツ紙も阪神ばかりを1面で扱うため、人気選手は阪神に集中。阪神の選手は高級歓楽街の大阪キタで飲み、阪急の選手は三宮や西宮のスナック。悔しい思いをしていた阪急は、阪神を日本シリーズでねじ伏せるのが悲願だったが、阪急黄金期の1970年代に阪神が全く優勝できず、実現しなかった。結局、阪急はオリックスに身売りをして野球を捨てた」(同前)
そうした経緯もあり、統合後もオーナーを阪神電鉄トップに任せてきたが、状況が変わりつつある。
選手・スタッフの新型コロナ感染などを受け、球団を傘下に持つ阪急阪神HD(ホールディングス、以下同)の角和夫・代表取締役会長グループCEOは10月8日のサンケイスポーツ大阪版の1面に登場し、「具体的なことは藤原崇起オーナー(阪神電鉄会長)に任せる」としつつも、球団フロントを厳しく批判した。