日本学術会議をめぐる騒動は、いまもまだ続いている。はたして政府は学術会議の何を問題にしているのか。そしてそれは妥当なのか。評論家の呉智英氏が考察する。
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日本学術会議の会員候補が菅義偉首相によって任命拒否された問題がマスコミをにぎわしている。いくつもの学術団体がこれに抗議声明を発表しているが、世論の反応はむしろ鈍く、同会議が日本学術会議法に基づく一種の国営団体である以上何らかの人事介入はありうる、という声が強い。
本来、学術会議は完全非政府団体にすべきなのだ。そうすれば政府による干渉はありえない。これは日本共産党が政党助成金制度に反対し、苦しい党財政の中でも助成金受け取り拒否を貫いているのと同じだ。助成金制度は官制政党化への第一歩だとするのは、正しい指摘である。
私は三年前にも本欄で学術会議への批判の一文を草しておいた(小学館新書『日本衆愚社会』所収)。それは同会議が軍事目的での科学研究を行なわないという方針を再確認したからである。軍事研究は、戦争をするためにも、戦争を防止するためにも必要ではないか。戦争には侵略戦争もあればレジスタンス戦争もある。革命戦争もあるしそれを鎮圧する戦争もある。いずれの戦争のためにも、またいずれの戦争を回避するためにも、軍事学は無視できない。
政府の学術会議への干渉意図は、旧民主主義科学者協会系の研究者、要するに共産党系の研究者が多いので、これを排除しようというものらしい。愚かな考えである。一九四九年の設立以来何度も軍事研究をしないと宣言してきた人たちのどこが危険なのか。
公安調査庁は、共産党は今なお暴力革命の可能性を否定していない、と公報しているが、とても信じられない。共産党が暴力革命の可能性を否定しないのは、これを否定すれば共産主義者を名乗れなくなるからである。共産党は一世紀前から非暴力革命の共産主義者を痛罵し、それを正統性の証しとしてきた。だから共産党は暴力革命放棄を宣言できないのだ。公安調査庁は、暴力革命を放棄しない共産党の危険性を強調することで自分たちの存在意義を確立できる。双方の思惑が一致している。私はこれは出来レースだと思う。