他人に悩みを打ち明けるのは、日本人にはハードルが高すぎるといわれる中、49年にわたって耳を傾け続けてきた人たちがいる──。
「はい、北海道いのちの電話です」
さっき電話を切ったばかりの手で、息つく間もなく、鳴り出した受話器を取り上げた。
「あの……昨日、死のうとしたけど失敗したんです」
聞こえてきたのは、消え入りそうな女性の声だった。11月上旬の夕方。暖房を入れた小さな部屋に、換気のため開けた窓から冷たい風が入ってくる。部屋には三方を囲まれたブースが2つ。電話機とメモ帳だけの殺風景な部屋で、相談員は受話器の向こう側にいる誰かと向き合っていた。
「どんなことがあったのか、伺ってよろしいですか?」
それから1時間、聞こえてくる声にじっと耳を傾ける。窓の外にはいつの間にか夜の闇が迫っていた。電話を取った「北海道いのちの電話」相談員が語る。
「『確実に死ねる方法』と検索して『いのちの電話』を知り、かけてきた60代女性でした。遠方で暮らす3人のお子さんからは一切連絡がなく、高齢の親はまだ元気だけれど、昔から良好な関係性を築けていない──彼女はポツリポツリとそんな話をしました。もう生きていても意味がないから死のうと思い、鴨居にロープをかけるところまで追い詰められていたそうです」
北海道だけではない。全国にある「いのちの電話」には、いまこの瞬間も、生きることにもがき苦しむ人の声が届いている──。
コロナ禍で経済は停滞し、いつまでもぬぐい去れない目に見えぬ不安に苛まれる中、自殺者が激増している。警察庁の発表では10月の自殺者は2153人。昨年同期より614人、約4割も増加した。
止まらない自殺を未然に防ぐ「防波堤」の役割が期待されるのが「いのちの電話」だ。三浦春馬さん(享年30)ら芸能人の自殺が続いた際、報道番組で初めてその名を目にした人も多いだろう。だが、成り立ちは意外と古い。いのちの電話連盟理事の末松渉さんが言う。
「組織としての電話相談の始まりは1953年のイギリス。初めての生理を迎えた少女が誰にも相談できず、性病にかかったと思い込んで自死した事件をきっかけに、“抱えている悩みを話す場所が必要だ”と考えたボランティア団体が始めたものです。
日本ではドイツ人宣教師で上皇后、美智子さまとも親交が深かったルツ・ヘットカンプ女史の主導によって1971年に東京で活動が開始され、現在は全国50の相談センターが活動しています」