脚本家の作家性がいかんなく発揮されている作品といえそうである。ドラマウォッチを続ける作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が分析する。
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『姉ちゃんの恋人』(カンテレ・フジテレビ系火曜午後9時)を見ていると、他のドラマから感じることの無い独特な感覚が立ち上がってきます。むずがゆさというのか、気恥ずかしさ、というのか。タイトルの「姉ちゃん」という呼び方からしてそう。「姉ちゃん姉ちゃん」となつく3人の弟たちの姿が、どこかこそばゆい。
ドラマは両親を事故でなくした家族4人の物語。一家の大黒柱として3人の弟(高橋海人・日向亘・南出凌嘉)を育てる“肝っ玉姉ちゃん”安達桃子(有村架純)が主人公。弟たちは「姉ちゃん」の話題で盛り上がり「姉ちゃんが一番大事」と語り合う。その和気あいあいとしたシーンに、何ともしがたい気恥ずかしさを感じてしまうのは私だけ?
視聴者の感想を眺めてみると、作品に好意的な感想も多い反面、「姉ちゃん大好き的なセリフは気持ち悪い」「有村架純や三兄弟を過度に可愛く見せる設定が過ぎる」「一家のキャピキャピが煩わしい」といった感想も目に入ります。今や兄弟が3人いれば、それぞれが主張したり各人の趣味やこだわりがあったりするのが自然な時代。だからこそ一体となった家族に視聴者はある種の異質感というか、こそばゆさを感じるのかもしれません。
たしかに過去には、掛け値なしに支え合う家族や兄弟がドラマの中に見られました。「ホームドラマ」というジャンルが確立し、『肝っ玉かあさん』や『時間ですよ』など仲の良い家族ぶりを描くのが王道だった時代もありました。刺激的な犯罪も家族の決定的な不和もなく、口喧嘩はしても安心して見ていられる家族像。しかし今のドラマにおいてはまるで別世界です。
放送中のドラマを眺めてみると……「極端な非日常」の設定が大半であることに気付きます。夫が失踪し巨額の遺産相続でもめたり、35歳の女性の精神年齢が10歳だったり、大企業の駆け出し新米社員が社長と恋愛したり、ベテラン大物男優と大物女優の反目だったり。極端な設定にしなければ視聴者の関心を惹けない、見てもらえない、という思考回路が制作陣にありそう。いや、それに影響された私たち視聴者側にもほのぼのした家族ドラマを見るモードが失われつつあったのかもしれません。
『姉ちゃんの恋人』というホームドラマを、時代遅れと批判したいのではありません。制作サイドはこの時代に敢えて意図して作り上げている。そこに明確な狙いやテーマ性があるはず。脚本を担当するのはNHK朝ドラで『ちゅらさん』『おひさま』『ひよっこ』3本を手がけたベテラン、岡田惠和さん。それだけにこの「気恥ずかしさ」を通して一体何を表現しようとしているのか……興味が湧きます。
岡田氏はかつて「昔から気になるのは、目立たない、クラスの隅にいる人でした」と語っていました。「迷ったり、傷ついたり、ときに逃げてしまったり、後悔したりしながら生きていく登場人物たちを、最後まで見届けてもらえたら」(週刊文春 2019年8月8日号)とも。