「いのちの電話」──それは、自ら命を絶つ一歩手前まで悩んでいる人の言葉に耳を傾けてくれる存在だ。
新型コロナウイルスの影響により、自殺者が激増している。警察庁の発表では10月の自殺者は2153人。昨年同期より614人、約4割も増加した。増えゆく自殺を食い止める防波堤となるのが「いのちの電話」だ。日本では1971年に活動が始まった。
日本全国で6000人いる「いのちの電話」を受ける相談員は、すべてボランティアだ。交通費も自己負担。仕事や家事の時間をやりくりして「いのちの電話」を受ける時間を捻出している相談員もいる。しかし、苦労してやっとのことで出た「いのちの電話」で傷つけられることもある。電話の向こうから延々と罵倒されることもあるというのだ。ボランティアとひとくくりにするにはあまりにヘビーな奉仕活動を、彼らはなぜ続けるのか。
いのちの電話連盟理事の末松渉さんは「相談員の多くは、自らの経験を踏まえて、誰かの役に立ちたいと思っている」と指摘する。
「相談員に応募する人は、過去に大きな苦しみを乗り越えた経験のある人が多い。自らが『死にたい』と苦しんだり、身近な人に自死された経験があったり。多くの人が、当時は必死でつらかったけれど、“生きていてよかった”という思いから、人生で培った知恵をいま苦しんでいる人に伝えようとしているのだと思います」(末松さん)
「北海道いのちの電話」で10年以上相談を受け続ける山本直人さん(仮名)もそのひとりだ。北海道の炭鉱の町で生まれた山本さんは、幼少期、足に障害のある父を恥じていた。
「子供の頃、父から銭湯に誘われたのを断り続けたことを、いまも深く後悔しています。当時、家に風呂がなく、町内に無料の銭湯があったのですが、不自由な足を見られたくないという思いもあってか、普段、父は家で足を洗ったり体を拭くだけ。銭湯に行くのは年に数回でした。
“直人、風呂行くぞ”と声をかけてきた父に、私は“嫌だ!”と拒み続けました。小学校で父のことをバカにされ、いじめられたことがあって、私自身も父のことを差別する気持ちがあったのだと思います。その後も一緒に銭湯に行くことがないまま、小学5年生のとき、父は病で亡くなってしまいました」(山本さん)
父の死後、このことを悔やんでも悔やみきれなかった山本さんは、贖罪の気持ちから、いつしか人の役に立って生きていきたいと強く願うようになった。そして、42才のとき、いのちの電話の扉を叩く。
「相談員になって私の人生は大きく変わりました。私はもともと気性が激しく、経営する居酒屋でも気に入らない客には『二度と来るな!』と怒鳴るような荒くれ者でした。しかし相談員の研修で、私自身の話をじっくり聞いてもらったとき、それがどれほどうれしいものかを、身をもって知ることができました」(山本さん)