ドイツワールドカップ・アジア予選のオマーン戦で、後半ロスタイムに勝ち越しゴールを奪った久保竜彦。W杯本大会では代表に選ばれず、2大会連続で代表候補となりながら本戦出場は叶わなかった。現在は、巡回サッカー教室を開くかたわら、山口県で海水を薪釜で焚く昔ながらの製法で塩づくりに取り組む久保が、ケガと戦い続けた現役時代を振り返った。
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現役中、特に後半はケガとの戦いだったように思う。
持病の腰痛と膝痛が悪化し始めたのは2004年くらいから。今まで蓄積されたものが徐々に出てきた感じだった。試合だけならまだ、痛み止めや注射を打てばなんとかなる。けれど、普段の生活でも支障が出てきたのには参った。ちょっとした動作でも痛みが走るので、ジッと座ることもできず、とにかく苦しかった。
2006年、ドイツW杯の代表最終選考で落選したのも、この痛みのためだ。「あと1年早かったら」と言ってくれる人もいたけれど、たとえ1年早くてもケガの痛みは変わらなかった。
思い返せば小学4年生の時、メキシコW杯でマラドーナが優勝し、ワールドカップを抱いている姿を見て以来、「ああいう風になりたい」という思いでやってきた。高校までは国体以外で全国大会に出たことがなかったけど、縁あってサンフレッチェ広島に入ることができ、凄い人たちと一緒にグラウンドで練習する中で「負けたくない」と頑張った。そこから横浜F・マリノスに移籍して優勝。AFCチャンピオンズリーグにも出場し、ジーコ(監督=当時)から代表に呼ばれた。
代表合宿に呼ばれるようなメンバーはみんなどこかしら痛めているのが普通だ。各自が騙し騙し、うまくプレーしていた。特殊だったのは中田英寿と鈴木隆行で、本当に身体が強かった。