角田裕毅(つのだ・ゆうき、20)が、F1への最後の戦いに挑んでいる。12月4日から始まるF2の最終戦でランキング4位に入れば、F1参戦に必要なスーパーライセンスを獲得(現在、ランキング5位)。アルファタウリ・ホンダからF1デビューが決まれば、来季、小林可夢偉以来、実に7年ぶりに日本人F1ドライバーが誕生することになる。
2018年、日本のFIA F4のチャンピオンとなり、渡欧。ホンダとレッドブルのバックアップを受け、F1へと駆け上がろうとしている若きレーサーは、どのような道を歩んできたのか。なぜ速いのか。「才能があるとは思わない」けれど、積み重ねてきた揺るぎない「自信」がある。11月半ば、バーレーンの連戦を前に、世界で戦う新世代アスリートの素顔と本音に迫った。
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プロレーサーを目指してはいなかった
──今季、角田選手が参戦しているF2(F1の下のカテゴリー)が、まもなく最終戦を迎えます。その結果次第でスーパーライセンスが獲得できるわけですが、F1を見据えて、11月には、F1のテスト走行を行いました。初めてF1に乗った感想はいかがでしたか?
角田:すべてが完ぺきで、F2とは別次元の車でした。F1とF2の間に、もう2つくらい、カテゴリーをはさんでもいいと思ったくらいです。いちばん違うと思ったのはエンジンの加速で、コーナーを回った後、アクセルを踏んだときのGのかかり方に驚きましたね。新鮮で、これがF1かと感動しました。
──映像を拝見すると、いい笑顔がこぼれていらっしゃいました。緊張はされないタイプですか?
角田:緊張する要素がなかったんです(笑)。テスト項目として300キロを走破しなければいけないというターゲットがあったので、プレッシャーはあったんですが、楽しみが上まわっていました。小さい頃から速さを磨いてきて、それがF1につながって、ついに乗れるということで、楽しみしかなかったです。
──4歳でカートを初め、早くから頭角を表した角田選手ですが、いつ頃からレーサーになること、また「F1レーサー」を意識されていたのでしょうか?
角田:4歳から16歳までカートをやっていましたが、その頃はプロレーサーになろうとは全く思ってなかったんです。とくに14歳くらいまでは、親にやらされている感じがあって。父がモータースポーツをやっていて、厳しかったんです。レースがうまくいかないと叱られる。ただ、僕が反抗的な態度をとると、父は「いつでもやめていいよ」と言うんです。じゃあ、やめようかなと思ったときもあったのですが、親の言いなりになるのはイヤなので続けていたら、成績も上がってきた。
16歳のときに、ホンダのスカラシップテストを受けました(鈴鹿サーキットが開催しているレーシングスクール「SRS-Fアドバンス」のスカラシップ)。そこで先輩たちのフォーミュラのレースを間近で見るようになって、はじめて自分からやりたいな、プロを目指したいな、と思うようになりました。といっても僕は、目の前のことしか見ていなかったですね。F3に行ったときもF1のことは考えてなくて、F3で活躍したい、F3のチャンプをとろうと。先の目標を考えたことってあまりないんです。その時、その時でターゲットを決めて、クリアしてきたという感じです。
──目の前のターゲットにひとつひとつ取り組んできた結果、いま、目の前にF1があると。
角田:はい。いまは残りのレースに集中しようと思っています。