コロナ禍で苦戦する全国の映画館を応援しようと、4人の映画人がオンライン・トークショーを行っている。『ミニシアター押しかけトーク隊「勝手にしゃべりやがれ」』と題したイベントでは、賛同した劇場で上映された作品について、荒井晴彦(脚本家、映画監督)、森達也(映画監督、作家)、白石和彌(映画監督)、井上淳一(脚本家、映画監督)の4氏がオンラインで縦横無尽に語る。その模様は、上映直後の映画館の観客が観覧できるほか、YouTubeでも公開されているが、ここではそれを活字化してお届けします。今回の作品は、森達也氏以外の3人も深くかかわった若松プロダクションの青春群像劇『止められるか、俺たちを』。前編、後編の2回に分けて掲載します。(文中一部敬称略)
なんで俺のところに来ないのかなと思った
井上:一応、白石さん、『止められるか、俺たちを』の企画意図を話します?
白石:そうですね。若松孝二監督が76歳の時に亡くなり、80歳の生誕記念のときに特集上映で足立正生さん、秋山道男さん、ガイラ(小水一男)さん、高間賢治さんとか、若松プロにかかわったみんなでトークをしてぼくも末席にいたんですけど、その時に若松プロの助監督だった吉積めぐみさんの写真集があるということを高間さんから聞いて、その写真集を見たのが、この映画を作ろうとした最初の動機ですね。吉積めぐみさんが若松プロに入った1969年から71年にかけては若松さんが数多くの傑作を撮っていた時代で、同時に若松プロを描いていければ、ぼくたちに映画を教えてくれた若松監督への返礼にもなるかなと思ったんです。たぶん荒井さんにはボロクソに怒られるんだろうけど、最初に井上さんに相談したら、「ぜひ、やりたい」って言っていただいたんでスタートした企画ですね。
井上:荒井さんが晩年の若松さんの作品をボロクソに言っていて、ぼくは荒井派だと思われていたんで、生誕80周年の時にはトークにあまり呼ばれていなかったんですよ。その中で『飛ぶは天国、もぐるが地獄』(1999年)という若松さんのフィルモグラフィでも忘れ去られていた作品が上映されて、これ、高取英さんのホンを三宅隆太と僕で一晩で直したんですけど、その関係でトークに呼ばれたんです。その時に白石さんから「井上さん、若松プロの映画を撮るべきではないですか」と言われて、「どうやってやるのよ」って言ったら、その特集上映が全部終わった翌日に、「めぐみさんの視点でやったらどうですか」と言われたんです。だから、この映画のめぐみさん視点で行く骨格は、白石さんのその発想で決まったみたいなものでした。ちなみに荒井さんにもぼくたちがレジェンドと呼んでいる方々と一緒に取材をさせてもらったんですけど、最初にこのめぐみさん視点でやるといった時はどう思ったんですか。
荒井:いやいや、脚本でも取材でもいいけど、なんで俺のところに来ないのかなと思った。高間がつくった写真集がもとになったというけど、高間に取材したのがたぶん失敗だったなと思う。高間は吉積めぐみが死んだときにはいなかったし、1970年の晩秋から亡くなるまで俺の方がめぐみとはずっといたわけだから。篠原美枝子が一緒にアパートを借りていたということもあるし、お前が書いた初稿ではベッドが血だらけって書いてあって、「血だらけじゃない、第一発見者の原田知司に聞けよ」って言ったのに、それが残っていたんでギリギリで直したけれども。
井上:それはギリギリで確認しました。
荒井:たとえば足立正生は左ぎっちょというのは会えばわかるのに、基本が抜けているというのかな、足立さんのことをアッちゃんってみんな言ってたけど、ちゃんにアクセントを置いていた。映画じゃアにアクセント置いていた。これだけ当時の証人がいっぱいいるのにどうして偏った取材をしていたのかなと思うんだけどね。
井上:荒井さんにもちゃんと取材したじゃないですか。
荒井:したけど、だいぶ後じゃないか。
井上:あの時、白石が撮影中で来られなくて、あとから録画を見て、「井上さん、これでだいぶ変わります。変わらざるを得ませんね」って言ったんだもの。
荒井:あ、そう。まあ、ホンもだいぶいじったけども、「俺の名前、クレジットしろ」って言ったら、「何年ぶりだから勘弁してください」って言ったじゃない。
白石:何年ぶりっていうのは、なにが何年ぶりなんですか。
荒井:井上の脚本クレジット。ひとり名前にしたいと。
井上:それは荒井さん、つくっていますよ(笑)。それにしても『あいときぼうのまち(2014年・管乃廣監督)からだから4年ぶりか。森さんはこの映画は公開時にご覧になっていますか。
森:ええ、見ています。
荒井:森さんの客観的な意見を聞きたいな。
森:ぼくはこのメンバーの中では作品のかかわりでは皆さんとだいぶ違います。ただ、若松さんとはその前から妙に気に入られたのか、酒の席にも呼ばれて一緒にずいぶん飲んだりしました。若松さんの噂はいろいろ聞いていますけど、実際に会ったら、すごく優しい、腰の低い方だなと思いました。でもそんなはずはない、現場に行ったら違うよっていう話はよく聞くけど、その辺が自分の中では整合性が取れないまま、どっかの現場でご一緒できればいいなと思っていたら、あんなことになってしまって。それでこの映画が公開されて見に行ったんですけど、この映画を見ることでぼくの中のギャップが少し解消されたというか、優しいけど残酷な若松孝二はこういう佇まいだったんだろうな、と実感できました。客観的じゃないけどそういう感想です。