来る者あらば、去る者あり。今年のドラフトで指名された支配下(*注)74人、育成契約49人がプロ野球の門を叩く一方、肩を叩かれたのは支配下・育成合わせ12球団で130人以上に及ぶ。
【*注/一軍公式戦に出場できる支配下登録選手の上限は各球団70人。その枠とは別に、一軍公式戦には出場できない育成選手と契約できる】
千賀滉大や甲斐拓也など、育成出身の選手が日本一の立役者となったソフトバンクに倣うように、プロ野球界では支配下枠の70人に加え育成契約も駆使して選手を集め、篩にかけながら自前で選手を育てるチーム作りが主流となった。こうした「大量採用・大量(早期)解雇」時代の象徴が、入団わずか数年で戦力外となった高卒ドラ1だ。
2017年のドラフトで、清宮幸太郎の“外れ外れ外れ1位”でソフトバンクに入団した吉住晴斗は、在籍3年で戦力外に。育成再契約を打診された直後には「野球に対する気持ちが切れかかっている」とコメントした。身体能力は誰もが認めるところだが、これという武器がなく、見るたびにフォームは変わっていた。試行錯誤しながら日本一の投手陣との“差”を痛感する3年間ではなかったか。東大卒の日本ハム・宮台康平も、育成契約を受け入れるのか、決断が待たれる。
ケガを負った選手を一度、自由契約にし、リハビリの経過を見守ると同時に、今後戦力となり得るかを見極めるべく育成で再契約するのもひとつの傾向だ。顕著なのは今秋のドラフトで12球団最多となる12人の育成選手を指名した巨人。2019年1位の高卒1年目・堀田賢慎や2017年1位の鍬原拓也が右肘手術のため育成で再出発となった。これも“血の入れ替え”なのだろう。
他にも2019年に自律神経失調症を公表した西武の多和田真三郎や、特定疾患である両側特発性大腿骨頭壊死症を罹患したオリックスの西浦颯大も、快復に努めながら三桁の背番号を背負って出直しを図る。