地球温暖化によって気候が変化し、技術の進歩によって季節感が失われ、そして新型コロナウイルスの影響もあり、生活様式が変化する。そういった状況が複合し、四季の移り変わりを伝えるニュースが減って、季節を感じられる行事や食も減少している。気象庁は、67年続く季節を象徴する開花や生き物の初鳴きなどを記録する「生物季節観測」を見直す。例えば、「うぐいすの初鳴き」や「ひがんばなの開花」などを記録しなくなるのだ。
そんな絶望的な状況にも、四季がないと困るはずの俳人は少しも動じない。
「昔だって冬なのに暖かい日はあったんです」
と語るのは高浜虚子の孫で8才から俳句を始め、俳句雑誌『ホトトギス』の名誉主宰を務める俳人の稲畑汀子さんだ。
「そういう日を『冬暖(ふゆあたたか)』と呼びます。冬の厳しい寒さのなかにも1日だけ日差しが心地よい暖かさを運んでくる日があれば、そのことを俳人たちは俳句にしてきました。秋がほとんどないとか、冬が寒くならないとか、そんなことを詠んできたのです」(稲畑さん)
稲畑さんは中学1年生で終戦を迎えて、何もない場から俳句を詠み続けてきた。
「私ももうすぐ90才。昔は戦争もあったし、コロナのような怖い病気もありました。これから先は温暖化で気温がどんどん上がって、さらに季節感がなくなるかもしれません。それでも、もしも寒くない冬が来たら、『これは冬ではない』と言うのではなく、『暖かい冬』と言えばいい。これまでの概念ではとらえられない新しい季節が生まれたら、時代とともに変化して、新しい歳時記を作ればいいのです。私たちはいろいろなものを見たまま、感じたまま、そこに季節感をとらえながら、俳句を作っていくだけです」(稲畑さん)
コロナがもたらした状況は、戦時中にたとえられることもあった。季節を感じる余裕などなかったはずの時代といまは似ているのかもしれない。
19才で終戦を迎え、戦時中に抱いた思いを、《わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがら崩れていって とんでもないところから 青空なんかが見えたりした》という詩に込めたのは、詩人の茨木のり子さんだ。
彼女は51才のとき、こんな一節を書きなぐった。
《自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ》
春はあけぼのの時代から、感受性豊かな文人は、私たちに大切なことを教えてくれる。