【著者に訊け】姫野カオルコ氏/『青春とは、』/文藝春秋/1500円+税
起点は令和2年3月現在、南武線沿線のシェアハウスに住み、ジムのインストラクターを昨年からしている、〈マドンナと同年生まれ〉の私こと〈乾明子〉。コロナ禍もあり、〈一昨日からは、ずっと記憶を見ている〉〈サミットストアの袋に入れていた物を取り出したら、むかしのことを思い出して、まるで映画を見ているように目の前に鮮やかに見えるのである〉という明子が〈滋賀県立虎水高校〉で過ごした日々を、姫野カオルコ著『青春とは、』は描く。
袋の中には〈本が一冊、名簿が一冊〉。特に本の方は〈犬井くん〉に借りたままになっているのが格好悪く、その恥ずかしさがさらなる恥の光景を呼びこむような、昭和50年代の青春記である。
「きっかけは確か『週刊ポスト』です。河合奈保子は作詞作曲もでき、学生時代から楽器に親しんでいたみたいな記事があって、私は『ん? 学生時代は大学からで、中高は生徒時代でしょ』と思った。
その話を担当の編集者にしたら、『姫野さんの学校話は細かくて可笑しいですね』と言うので、こんなことやあんなこともあったと、お手紙の形で書き送るようになって。それを長編に書き直したのがこの本。胸キュンな恋愛話も部活の熱い話も出てこない、片田舎の公立校の放送部員の地味~な日常の話ですが、数から言ったら何もない方が断然多数派で、〈フツウな青春〉だろうと思う」
〈自分、クラコにせえ〉〈今日から暗子て呼んだる〉と一方的な呼称変更を告げる犬井くんは、明子の一学年上の柔道部員。その親友で女子にモテモテのサッカー部員〈中条秀樹〉のことも明子は君付けで呼び、上下左右全てに緩い校風を漢字四文字にすれば〈暢緩儘遊〉だ。
そんな虎高で巻き起こる様々な珍騒動が、本書では令和の明子の視点で綴られ、第1章「秋吉久美子の車、愛と革命の本」から終章まで、昭和50年前後の風俗が盛り込まれるのも楽しい。
〈クミコ、きみを乗せるのだから〉のCMで話題の日産車を、シベリア帰りの父は役所との往復だけに使い、定時に帰るなり高級料理本を広げ、〈軍鶏と百合根と椎茸の茶碗蒸し。だしは利尻昆布ではなく羅臼昆布でとれ〉と命じられたら最後、手抜きは一切許されない。一方父との結婚そのものに失望する相銀勤務の母親は食にも料理にも興味がなく、〈わが家は厳しくない。たんに暗い〉と明子は思う。