昨年、テレビの討論番組に出演した萩生田光一・文部科学大臣が、大学入学共通テストに導入される英語の民間試験をめぐり「身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」と発言し、格差を容認するのかと批判を浴びて発言を撤回した。「身の丈」に合わないことにチャレンジしてこそ、可能性が広がるという面もある。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が提唱する、身の丈を気にしない「らしくない」生き方のススメ。
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アメリカ大統領選挙は白熱した戦いだった。「どっちになっても変わらない」なんて冷めた声も聞かれる日本に比べ、だれを支持するのかはっきりと表明するアメリカのほうがずっと健全なように思う。まさに大統領選は、全米が沸いたお祭りだと思った。
ただ、気になることもある。ある世論調査で、支持候補が落選した時に「暴力は正当化される」と答えた人が20%くらいいた。共和党支持者だけでなく、民主党支持者も同じくらいの割合で、暴力を肯定している人がいる。分断の深刻さを感じ、愕然とした。
それにしても、トランプ大統領はなぜ、ここまで人気があるのだろうか。ぼく自身の好き嫌いは別として、絶大な支持者を集めているのは、ある意味「らしくない」政治家だったからではないか。型破りとか、意外性とかいうものは、とてつもなく魅力的に見えるものなのだ。だが、この4年間の評価は結果を見れば歴然だと思う。「らしくない」トランプに勝ったのは、よくも悪くも「らしい」政治家のバイデン氏であった。
意外性だけでなく、神髄を見極める目が必要
いろいろな人と交流するなかで、時々、「なぜか好かれる人」に出会う。例えば、公務員なのにマニュアルやルールを少し拡大解釈して、本当に困っている人に手を差し伸べたりする。“放し飼いの公務員”みたいな人だ。みんなに頼りにされ尊敬を集めている。こういう生き方っていいなと思う。
寿司屋らしくない寿司屋というのもそうだ。神宮前にある「おけいすし」の大将は、まさにそんな感じ。たたずまいは柔和だが、カウンターの端から端までピシッと気を配っていて、一分の隙もない。なんだか武術の達人のようにも見える。
この大将がテンポよく、次々と驚きのつまみを出すのだ。マグロの横隔膜、タコのほうじ茶柔らか煮、生タコの吸盤、ホヤ、からすみ、なまこの卵巣のくちこ、にぎりが出る前にノックアウトされてしまう。しかも、一個一個が絵になっていて、手のひらに乗る小さな芝居を観るように心が弾むのだ。
政治家も、だれとは名前は挙げないが、いつもニュートラルな視点を失わない人がいいと思っている。アメリカほどではないが、日本でも保守とリベラルが明確に分かれているように思う。このままいくと、より極端な右へ引っ張っていく人や、極端な左へ引っ張っていく人が出てくる。これを防ぐためにも、右らしくない右とか、左らしくない左というような人が、国民の3割ぐらいいることが大事なように思う。
既存の主義主張にこだわりすぎず、本当に国民のためになることは何なのか、神髄を見極めることができる政治家が出てくることを期待したい。